GLOCAL vol.12
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2018 Vol.122018 Vol.122018 Vol.122018 Vol.123と整理できる。 この基準に照らして、仲裁廷は、スプラトリー諸島の全ての陸地が、EEZの基点にならない地形と判断した。その中には、スプラトリー諸島最大の陸地である太平島(台湾領、面積0.43km2、軍人約160名が駐留)も含まれる。こうした解釈は、従来の学説よりもはるかに厳格なものと言うことができるだろう。 なお、その他の論点についても、ほぼフィリピンの主張が認められ、中国は完敗した。仲裁裁定の影響 裁定から1年が経過したが、比中両国は裁定を棚上げしていると報じられ(2)、実際、中国による環礁の軍事基地化は、今も継続している。 当事国以外に目を向ければ、この裁定に基づき、自国の島を岩とみなしてEEZを引き直した国は存在しない。逆に、米国(条約加盟国ではないが)のように、裁定翌月に、裁定の判断に基づけば一見して「岩」と思われる地形の周囲に既設の保護区を、あえて200海里(=EEZの限界)に拡大した国なら存在する。 とはいえ、本件裁定が、紛争当事国にすら無視される非現実的解決を示し、ただ仲裁の権威を貶めただけだったと評するのは、時期尚早であろう。傑出した仲裁官による国際裁判初の「レシピ」の解釈-多様な国家実行を考慮せずに結論したという大きな欠陥を抱えるが-を今後の判例が踏襲する可能性は、まだ否定できない。 その時、新たな「混乱と衝突」が生まれるのは、6,852の島からなる日本の海かもしれない。EEZ確保のため何ができるのか、今一度、慎重に検討する時が来ている。注(1)The South China Sea Arbitration(The Republic of Philippines v. The People’s Republic of China), Award (12 July 2016), available at https://pcacases.com/web/view/7.(2)「南シナ海判決1年 中国、比を取り込み」『毎日新聞』(2017年7月12日付朝刊)。際法学者の論文では活発に議論され、多様な国家実行がその俎上に載せられたが、国際裁判においてはこの問題を可能な限り避ける傾向が見られた(たとえば、ICJの2009年黒海海洋境界画定事件や2012年領海及び海洋紛争事件(ニカラグア対コロンビア)判決など)。 それでもフィリピンは、2013年1月、果敢にも中国を相手取り、このレシピの解釈を求めて仲裁裁判に提訴した。南シナ海における自国EEZ内に点在する環礁に対し、中国が「九段線」なる条約に根拠のない独自理論に基づき領有権を主張し、環礁を埋め立てて軍事基地を建設することに対し、そもそもそれら環礁はEEZを有さない「岩」であり、違法な活動だと訴えたのである。 仲裁がこの問題に答えるためには、条約第121条の解釈問題を避けることはできない (なお、領土帰属問題は、条約規則上、本件では扱えない)。こうして国際海洋法の世界的権威の5名の学者で構成された仲裁廷が、国際裁判では初めて、「レシピ」の解釈に挑んだ。 ちなみに、中国は最後まで欠席戦術を貫き、法廷外で自国の立場を表明し、自国の意に反する仲裁裁判の管轄権を否定した。もっとも、中国も締約国である条約の規定上、この仲裁裁判は有効に成立しており、その判決(裁定)は、紛争当事国(のみ)を、法的に拘束する。島か岩か 2016年7月12日、仲裁廷は、条約第121条の解釈に切り込む画期的判断を下した(1)。上で整理した論点に対応させながら、その判断の内容を、順に見ていくことにする。 ① 1項と3項の関係:仲裁廷は、1項の要件を満たす地形を、包括的に高潮地形(high-tide feature)又は島と呼んだ。そのうち、3項の要件も満たせば「完全な権原(title)を有する島」、満たさないなら「岩」と分類する。EEZを主張できるのは「完全な権原を有する島」のみである。こうして仲裁廷は、「分離説」ではなく、「結合説」を採用した。 ② 「人間の居住」の意味:仲裁廷は、極めて厳しいハードルを設けた。すなわち、居住とは、その地形を「故郷(home)」として、そこに留まることができる人民による安定した共同体の一過性ではない居住を意味するとした。つまり単なる人の存在では足りず、そこを故郷とする安定した定住者の存在を要件としたのである。 ③ 「独自の経済的生活」の意味:地形又は地形のグループ上に居住し、そこを故郷とする人間の生活と生計を意味するとして、居住との関係性を強調した。また「独自の」の意味として、外部支援に依存するものや、居住者が関与せず他所の住民が自らの利益のために行う採集活動などは、これに該当しないとした。さらに、活動が長期に維持されるためには最低限の利益があることが前提ともいう。 ④ 「又は」の解釈:仲裁廷は「人間の居住」か「経済的生活」のいずれかを満たせばよいとしつつ、実際には安定した人間の共同体により居住されている場合にのみ独自の経済的生活を有するのが普通である、とも述べた。これは、起草過程を無視して、実質的に「又は」を「及び」と読む解釈といえるだろう。 ⑤ 「維持することのできない」の意味:仲裁廷は、これは地形が人間の居住又は独自の経済的生活を維持できる"capacity"(「能力」又は「収容力」)に関する客観的基準であること、また地形の(埋立てのような)人工的な改変なく維持できるか否かが判断されるとした。つまり、仲裁は、埋立てなどにより「岩」を「完全な権原を有する島」に変えることはもちろん、科学技術を駆使した将来的な可能性の証明の道も塞いだことになる。 その上で、仲裁は、capacityを有するか否かの判断基準として「不定期間に人間の集団が地形上で生活することを可能にするのに十分な量の水、食糧及びシェルターの存在」を提示した(地形ごとにケース・バイ・ケースで評価される)。 なお、地形の大きさは、水、食糧、生活空間や経済的生活のための資源の入手可能性に関係するが、それ自体は島か岩かを区別する手がかりや関連要因ではないとも述べている。 以上から、仲裁の言うEEZを有する「完全な権原を有する島」とは、①の結合説に基づき1項を満たす高潮地形のうち、②の意味での人間の居住「及び」③の意味での独自の経済的生活を、⑤の意味で維持できるcapacityを改変前の自然状態で有する地形

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