GLOCAL vol.12
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2018 Vol.122018 Vol.122018 Vol.122018 Vol.1211問」に等しいものとなった。しかし特筆すべきは、ベヴァリッジだけはコールを擁護したことである。審議会の前半では、報告書の内容が「事実と意見の混在」がリードにとって問題視されたが、ベヴァリッジは自らの社会調査観を明確に次のように述べた。「現在の被保険者が加入している組合に対して彼らが不満を抱いているかどうか、あるいは別の組合に変更したいと思っているかどうか、それ自体が事実なのであり、我々が掴むべきものは、情報、ソーシャル・ワーカーの意見、労働組合や友愛組合の秘書から得られる事実についての報告書である。」これに対してリードは、既存制度の悪い面のみを恣意的に取り上げようとする調査姿勢を攻撃していった。ところが、ベヴァリッジは、審議会でコールの掴んだ民衆の声に関心を示した。また各地方で統一性を欠いた社会保険制度の実態に驚き、既存制度の統合化を図るべく抜本的な改革路線の根拠を「ナフィールド調査」に見出し、最終的に官僚を排除し、『ベヴァリッジ報告書』を一人で執筆したのである。おわりに1942年に発表された『ベヴァリッジ報告書』の作成過程をベヴァリッジとコールの関係を通して考察してみると、イギリスで「福祉国家の父」と呼ばれる自由主義者ベヴァリッジは、社会主義者のコールの提起した社会調査の結果を真摯に受け止めていたことが分かる。行政・制度面を重視する社会主義者ウェッブとは異なるコール流の「草の根」的な社会主義の流れと、ベヴァリッジのリベラリズムの流れとが、互いに呼応し合った点が『ベヴァリッジ報告書』の出現なのである3Endnotes1 本内直樹・松村高夫「オックスフォード大学ナフィールド・コレッジ社会再建調査、1941年-1944年」『社会経済史学』第82巻4号(2017年2月)2 Nuffield College Library, Oxford, NCSRS, E13/57, E13/62 のfile.3 松村高夫・本内直樹「第二次世界大戦下のG.D.H.コールの社会調査」『三田学会雑誌』第110巻4号(2018年1月近刊)招いた「非公開会議」で議論を16回重ね、戦後再建に向けた統一見解を創出しようとした。それは、通常の「統一戦線」の範囲をはるかに超える多種の人々を巻きこむ点で、コールにしかできないものであった。「ナフィールド調査」の具体的な調査課題には「社会サーヴィス」、「教育」、「産業」、「地方政府」といった戦後再建に重要とみなされたテーマの下、それぞれに小委員会が設置され専門分野の教授やフェローらが指揮を執った。オックスフォードを本部として、全国各地方の大学研究者を中心とした調査班が地域ごとに戦時下の変化の実態を調査していった。ここで注目したいのは、全国レベルで「コモン・ピープル」(民衆)の声を丹念に聴き取っていき、それらを意識的に記載した報告書(計220頁)を、W. ベヴァリッジを議長とする「ベヴァリッジ委員会」に送付していた事実である。そこには753人の証言=「生の声」がそのまま記載された異色の内容であった1。コールらの「ナフィールド調査」に当初から目を付けていた人物が、実は戦後のイギリス福祉国家の礎をなした『ベヴァリッジ報告書』(1942年)を執筆した自由主義者ベヴァリッジなのだった。ベヴァリッジはコールとは思想的立場を異にしてはいたが、旧知の仲であった彼に、民衆が既存の社会福祉制度についてどのような不満を抱え、困難な状況に置かれたままになっているのか調査して欲しいと依頼していたのである。コールは、戦前の社会保障制度の恩恵を受けることのできなかった低所得労働者階級の人々や女性(寡婦・妊婦)の「生の声」をそのまま報告書に記載し、そうした民衆の不満の声を政府・官僚たちに届けようと試みていたのだった。「国民健康保険」、「老齢年金」、「労働者災害補償」、「公的扶助」の項目に沿って聴き取り調査が行われ、例えば北ウェールズの女性は国民健康保険について「これは国家の責任だ。今の不適切な出産給付の問題は、多様な社会サーヴィスが重複している現状と合わせて再検討されるべきだ」と、またハダーズフィールドの女性は「保険に加入している全ての女性もしくは被保険者(男性)の妻は、病院か自宅で無料の出産サーヴィスが受けられるべき」ことを要求した。さらに北スタッフォードシャー州の男性は「今、必要なことは、諸々の認可組合への依存から国家の運営する保険機構への変更だ」と主張した。ナフィールド報告書にはこうした生の声が大量に記載されている。他にも訪問助産婦、労働組合や友愛組合の秘書、退役軍人、葬式請負人、清掃人、大工、機械工、労働者の妻から、中産階級では工場の福祉監督官、市民相談局員などから聴収した意見が記載されている2。コールたちが念頭に置いていたことは、官僚の作成した公的資料やそうした統計的調査に基づく実態から排除されてしまう人々の「生の声」を個別に拾い上げることで説得力を持たせ、社会保険制度の矛盾点を「下から」問うていくことだったのである。「ナフィールド調査」の最終報告書では、既存の複雑な社会保険諸制度の矛盾を統一的かつ合理的に解決していくことが勧告された。その具体的施策として「社会保障省」を新設し、社会保険制度を国家責任の下に置き、「ナショナル・ミニマム(国民最低限保障)」の原則を根拠とし、全ての人々を包摂しうる社会保障制度の再編に向けた指針を示したのである。図2:戦時下、庶民への聴き取り調査 出所:Getty Images「ベヴァリッジ委員会」での反応しかし「ナフィールド報告書」を受理したベヴァリッジ委員会の官僚メンバーの多くは、そうした「陰鬱」な内容を示す「ナフィールド調査」を「非科学的」なものとみなし、まったく学術的な調査とみなさなかった。特に扶助局長官のリードは、社会主義者のコールが「恣意的に作成」したのではないかと疑った。その結果、1942年6月24日のコールを招いてのベヴァリッジ委員会での協議は「査

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