GLOCAL vol.12
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8西洋標準と明治の解決ー明治維新150年によせてー等々は、おそらく江戸幕府のままでも遂行できたことであろう。しかし、「国の基本的な形」、つまり天皇のもとで四民平等による国民国家という形は、新政府でなくてはこれほど早くできなかったものである。明治維新の諸改革は、結果として革命Revolutionと呼ぶに値するものであると考えられよう。私の所属する明治維新史学会では、2010年から『講座 明治維新』シリーズを有志舎より刊行している。明治維新はあらゆる分野にわたる諸改革と位置付けられるが、テーマも多岐にわたっているため、12巻という大シリーズになり、年内に完結する予定である。編集委員会で議論になったことの一つが、明治維新の始期と終期である。近代の始点をペリー来航に求めることには、それほど異論はなかったが、ペリー来航における幕府の対応を考えると、アヘン戦争・ロシアの来航にまでさかのぼらなければならない。また政治的な終期としては、明治14年の政変(1881年)・内閣制度の発足(1885年)、立憲体制の確立(1889年)など諸説あるが、講座では様々な分野を取り扱っているため、どこが時代の変換点なのかを探ることとなった。諸分野の研究者が口をそろえたのは、日清戦争(1894年)であった。結果として、『講座 明治維新』は19世紀、少なくとも19世紀後半を対象とすることになった。私の関わった外交巻でも、日清戦争まで視野に入れないと、明治維新は完結しないのである(2)。明治150年とは今年、2018年は、明治元年(1868年)から数えてちょうど150年目にあたる。150年という時間の体感は難しいが、半分にわけると昭和18年(1943年)である。明治から敗戦までと、敗戦から現在までは、ほぼ同じ長さの時間であると考えれば、150年がどのような時間であるか、実感していただけるだろうか。二本差しの侍に原爆を見せるのと、焼け野原の少年にスマホを見せるのではどちらがより衝撃的なのだろう。ともかくもこの150年間はスピーディーな「進歩」の時代であったように思われる。さて、この150年を記念して、NHKの大河ドラマでは『西郷どん』が放送され、政府には内閣官房「明治150年」関連施策推進室なるものが誕生して、各地でさまざまなイベントが官民あげて行われている。世の中に○○周年と銘打つものは多いが、明治維新への関心の高さは群を抜いているといえよう。一般的には「明治維新150年」のほうが、通りがいいように感じるが、「維新」という名を冠した他政党への配慮からか、あるいは「明治の日」制定への布石なのか、政府はあくまで「明治150年」であることを強調している。推進室では明治期の意義を以下のように述べている(1)。明治以降、近代国民国家への第一歩を踏み出した日本は、明治期において多岐にわたる近代化への取組を行い、国の基本的な形を築き上げていきました。内閣制度の導入、大日本帝国憲法の制定、立憲政治・議会政治の導入、鉄道の開業や郵便制度の施行など技術革新と産業化の推進、義務教育の導入や女子師範学校の設立といった教育の充実を始めとして、多くの取組が進められました。また、若者や女性等が海外に留学して知識を吸収し、外国人から学んだ知識を活かしつつ、単なる西洋の真似ではない、日本の良さや伝統を活かした技術や文化も生み出されました。なるほどと思うところもあるが、明治だけを抜き出すと日本の「近代化」の様相があいまいになるような気がする。明治維新とは明治維新の英訳は、Meiji Restorationが一般的である。世界でもっとも血の流れなかった革命Revolutionと呼ばれたときもあったが、現在では、天皇政権への復古Restorationにすぎないと判断されているようである。近年の幕末政治史の研究は、良くも悪くもであるが、驚くべきほどの深化・細密化を遂げていて、かなり細部まで明らかになってきた。政権交代のみをもって明治維新を考えれば、権力闘争の結果としかいいようがなく、革命Revolutionには値しないかもしれない。ただし、推進室が掲げた内閣制度の導入国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 教授森田朋子(MORITA Tomoko)お茶の水女子大学大学院人間文化研究科(博士後期課程)単位取得退学。博士(人文学)。専門分野は、明治維新期の外交、領事裁判権問題。日本に住む外国人・外国に出かける日本人などに関する研究を行っている。

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