GLOCAL Vol.10
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4伊 吹本10オ)のように、時代が下ると、濁音ブであるイブキの訓がある。日本書紀私記・御巫本は、応永三十五[1428]年の書写であるが、そのし声ょう点てんについて、金田一春彦氏『国語アクセントの史的研究 原理と方法』[1974.3 塙書房]〔本論第二章第三節[五十七]〕は「鎌倉時代のアクセント資料に類する」と言われ、上野和昭氏「『御巫本日本書紀私記』所載の体言のアクセント」(「国文学研究」85[1985.3])は、詳しい検討の上、一部の異なりはあるが、「多くは鎌倉時代のアクセントを反映していると思われ」るとされていて、同じ声点で示されるところの清濁もその頃のものであろうと見られ、イブキに濁音化するのはおよそ鎌倉時代と見てよい。  伊[―]吹ブキ山ヤマ(文明本節用集・イ) そして、山名も、ブに濁音化したイブキヤマの例が室町時代に確認できる。 イフキ[気噴]の例からは、そのイが息・呼吸の意と見られることが注意される。イフ~からイブ~へ イフ~がイブ~に濁音化する例としては、イフカシ[不審]「眉(まよね)根搔き下いふかしみ〈下言借見〉……或本歌曰(略)一書歌曰 眉(まよね)根搔き下いふかしみ〈下伊布可之美〉……」(萬葉二二六一六九~一二六四二一)、イフカル[訝]「……いふかりし〈言借石〉国のまほらを……」(萬葉一七五一七三五七)が、平安末期に下ると、イブカシ[不審]・イブカル[訝]「訝イブカルシ(平平平◯上)」(類伊吹山と風 伊吹山は、滋賀県(近江国)と岐阜県(の美濃国)との境にあり、その辺りは、伊勢湾と敦賀湾との間、つまり、本州の太平洋側と日本海側との間が最も狭い陸地であって、風の吹くところと言われる。   雲かかるいふきのたけになくしかはかぜのつてにぞこゑはきこゆる(為忠家初度百首三五五)   おぼつかないぶきおろしのかざさきにあさづまふねはあひやしぬらん(山家集一〇〇五)などのように、伊吹山が風とともに詠まれる和歌もある。山家集の例の「あさづま」は、現滋賀県米原市朝妻筑摩に当たる「朝妻安左都末」(和名類聚抄・大東急本、近江国坂サカ田タ郡郷名)と見られる。山家集にはイブキオロシとあるが、今も、愛知県では冬の北西の風を〝伊吹おろし〟と言う。名古屋大学の前身である第八高等学校の寮歌に、「伊吹おろしの声消えて 木曽の流にささやけば」で始まる「伊吹おろし」(中山久・作詞、三橋要二郎・作曲、一九一六年)があり、名古屋市昭和区の鶴舞公園に「八高寮歌伊吹颪碑」がある。 伊吹山は風の吹くところであることに注意しておきたい。つまり、伊吹は、風が吹く意ではないかと考えられてくる。古事記・日本書紀などの例 古事記の やまとたけるのみこと 倭 建 命の条に、伊吹山は、   以(二)其御刀草那藝釼(一) 置(二)其美夜受比賣之許(一)而 取(二)伊服岐能山之神(一)幸行〔其その御みはかし刀の草くさ那ナ藝ギの剣つるをき以もちて、其その美ミ夜ヤ受ズ比ヒ売メの許もとに置おきて、伊イ服フ岐キ能ノ山やまの神かみを取とりに幸いでま行しき〕(景行)とあり、イフキノ山「伊服岐能山」のように清音フである(片仮名の上傍線は上代仮名遣の甲類を、下傍線は同じく乙類を示す。以下同様)。日本書紀には、「近江五十葺山」・「膽吹山」(景行天皇四十年是歳)とある(これらのフの清濁は確認できない)。 ここに、伊吹山は神のいるところである。 山名ではないが、日本書紀に、   吹棄氣噴之狭霧吹棄氣噴之狭霧 此云浮枳于都屢伊浮岐能佐擬理所(レ)生神 号曰(二)田心姫(一)〔吹ふき棄うつる気い噴ふきの狭さ霧ぎり吹棄気噴之狭霧 此これをば浮フ枳キ于ウ都ツ屢ル伊イ浮フ岐キ能ノ佐サ擬ギ理リと云いふに生うまるる神かみを、号なづけて田た心こり姫ひめと曰まうす〕(神代上・第六段本書)とあり、「吹棄氣噴之狭霧」の訓注にフキウツルイフキノサギリとあって、清音フのイフキ[気噴]の例がある(古事記の「吹棄氣吹之狭霧」も、フキウツルイフキノサギリと訓よんでよいと見られる)。このイフキは、「氣噴」「氣吹」に対する訓であるので、イ+フキの複合ととらえられて、そのイは息・呼吸の意と見られ、そのフキは動詞フク[吹]「狭さ井ゐ川がはよ雲くも立たち渡わたり畝うね火び山やま木この葉はさやぎぬ風かぜ吹ふかむとす〈加是布加牟登須〉」(古事記・神武・二○)の連用形である。 また、この日本書紀の例に対して、   氣噴伊布岐(平平平)(日本書紀私記・御みか巫なぎ国際人間学研究科 言語文化学専攻 教授蜂矢真郷(HACHIYA Masato)京都大学文学部卒業、同志社大学大学院文学研究科修士課程修了、博士(文学)〔大阪大学〕。専門は、国語学(語構成、語彙史、古代語、形容詞)。著書に、『国語重複語の語構成論的研究』(1998 塙書房)、『国語派生語の語構成論的研究』(2010 同)、『古代語の謎を解く』(2010 大阪大学出版会)、『古代語形容詞の研究』(2014 清文堂出版)。第17回新村出賞受賞(1998)。(写真は、上野誠氏撮影)

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