GLOCAL Vol.8
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12対華二十一ヵ条要求と列国条約の比較国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻 修士課程佐々木陽平(Sasaki Youhei)1987年愛知県生まれ。中部大学大学院国際人間学研究科(歴史学・地理学専攻)修士課程在学中。専攻は日本近代史。卒業研究では満州事変と新聞報道に関する研究を行った。現在では、日本の侵略は外国と比べた場合不当といえるのかという疑問を持ち、当時の日本は許容範囲内で外交を行なっていたかどうかという視点で研究を行っている。た公司の改善も見込まれる。つまり、対華二十一ヵ条要求は19世紀的要求と20世紀的要求の混合型であると評価できる。おわりに 対華二十一ヵ条要求は19世紀型と20世紀型の混合であり、要求作成に当たった外務省は、世界分割が終了していることをある程度認識していたと考えられる。これからの研究課題として、世界分割終了を認識していたという視点に立ち、対華二十一ヵ条要求の作成過程の整理を行なっていきたい。当時の世論が強硬であった事はよく知られており、外務省と大きく認識が異なるのではないか。この研究により歴史に新たな認識を加えるものにしたい。はじめに 対華二十一ヵ条要求は第一次世界大戦中の1915年、日本が中国に対し行なった二十一ヵ条からなる要求である。この要求により日中関係は大きく悪化し、山東問題、5・4運動などを引き起こすこととなった。対華二十一ヵ条要求は日本外交史上きわめて印象の悪い事件である。例えば、要求を見た袁世凱は「日本はなぜ中国人を狗豚の如く奴隷の如く取り扱わんとするのか」と憤ったというエピソードがよく引用される。しかし、袁世凱の顧問を勤めた日本軍人によれば、袁世凱は「日本言論界には私を狗豚のように軽蔑する議論もある。」と発言したと報告している。どちらが真実かは不明だが、袁世凱が憤ったというエピソードのみが世上に流布されている。他国の条約との比較 対華二十一ヵ条要求はこれほどまでに悪い印象をもたれているのだが、他の条約と比較するという作業はこれまで行われてこなかった。20世紀に入ると世界分割は終了し、植民地国では独立の気運が高まってくる。日本の要求は世界分割が終わっていることを認識し、作成されたものであるかどうかが重要である。そこで他国の条約と比較し、19世紀的要求とそうでないものに区別を行なうこととする。 比較に使用したものは1826年に英・ビルマ間で締結されたヤンダボー条約、1898年に露清間で結ばれた遼東半島租借条約、1898年独清間で結ばれた膠州湾委附に関する条約、1899年に仏清間で結ばれた広州湾租借に関する条約である。ヤンダボー条約は第一次ビルマ戦争の講和条約として結ばれたもので、海岸部の領土をイギリスへ譲渡すること等が定められた。 清国と列強が結んだ条約では、いずれも租借地の獲得と租借地内に軍隊が自由に侵入できることが定められている。また、鉄道の敷設権に関する取り決めも行なわれたことも共通している。ロシアは例外的に租借期限を25年としているが、他の列強は99年と定めた。租借地の設置は事実上の割譲である。領土の割譲こそが19世紀的帝国主義の特徴といえよう。 これに対し二十一ヵ条要求は、大連・旅順の租借期限延長、吉長鉄道の管理経営権の延長、警察の日中合弁、日本人顧問の採用、日本製兵器の購入、などの19世紀的要求が見られる。だが、一方では日本人が満蒙に土地を賃貸し業務に従事する権利、漢冶萍公司(中国の製鉄会社)の日中合弁化など、経済的権益に関する要求も見られることである。日本人が経済進出すれば現地経済を活性化させ、雇用をもたらす可能性がある。また、漢冶萍公司の日中合弁化が実現すれば経営難にあっ

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