GLOCAL Vol.7
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2015 Vol.72015 Vol.72015 Vol.72015 Vol.77近世邦楽における 一節切(ひとよぎり)尺八の研究―その奏法について―国際人間学研究科 言語文化専攻 M1加藤いつみ(KATO Itsumi)1942年岐阜県生まれ。1965年国立音楽大学音楽教育学科卒。2005年名古屋大学大学院にて修士(教育)の学位修得。2015年中部大学大学院国際人間学研究科博士前期課程在学中。16・17世紀に盛んに吹かれた一節切尺八に関心を持ち、江戸期に成立した一節切の譜書の翻刻を通して、その楽器の奏法と江戸期の音楽理論の研究を目指している。職歴:名古屋市立大学、名古屋経営短期大学、中部大学教授本であったため、楽譜は忘備的な存在でしかなかったことによるものであろうか。今後の研究に委ねられる部分であろう。また、特に17世紀中頃から、一節切は当時のはやり唄(流行歌)を吹くといった大衆芸能と結びついて栄えた。桜の下で酒を酌み交わしながら吹いたり、三味線と一緒に盆踊りの伴奏楽器として使われたり、庶民の生活を潤す楽器として愛好されるようになった。これに対して、元来の一節切奏者は、その流行を快く受け止めなかった。しかしこの現象は、一節切愛好者の数と層を広げ、その流行に一層の拍車を掛けた。この流行は、虚無僧尺八が台頭する18世紀頃から翳りの道を辿り、19世紀中頃には遂に衰退してしまった。③ 今後の研究今後、次のような内容で研究を深めてゆきたい。1)17世紀の手の奏法と音楽理論の理解、2)呂と律旋法、陽と陰音階への理解、3)他の譜書との内容の比較・検討、4)雅楽との関連、5)16・17世紀にかけての一節切に関する歌からその変遷を探る。21世紀初頭には一節切研究者、相良保之氏らよるCDもリリースされ、この笛の愛好者の輪が全国的に広がっている。筆者もこの轍と共に歩みたいと考えている。はじめに本研究は、17世紀後半に成立した一節切尺八(以下一節切と略記)の譜書『宗左流尺八手数並唱歌私之目録』(以下『宗左流』と略記)を通して当時吹かれた手(一節切は曲の事を手と呼んでいる)、その奏法、音楽理論そして解説から当時の音楽を復元しようとするものである。200年近く忘れられていたこの笛に、今世紀初頭になって復活の兆しが見えてきた。東京・名古屋・大阪・京都・大分、長崎等に愛好者がグループを作って活動していることがつい最近わかった。今回は、①一節切尺八とは、 ②17世紀に吹かれた手とはやり唄、③今後の研究 の三点について報告する。① 一節切尺八とは一節切尺八は、鎌倉後期から江戸中期に盛んに吹かれた縦笛である。素材は真竹で、前面に四つ、背面に一つの指孔があり、その真下に一つの節を有する。現存する一節切から一休禅師を始めとする多くの僧侶や、足利義政、徳川家康などの武将が吹いていたことが分かった。残っている一節切の数は定かではないが、200本以上の笛の存在を確認し、他の情報から数百本はあるのではないか、という研究者もいる。ちなみに上の写真で筆者が吹いているのが一節切で、原是斎(1580-1669)作の“頻伽”と銘入りのものである。② 17世紀に吹かれた手と  はやり唄現在筆者が翻刻している『宗左流』の写本は、唐草模様入りの淡朽葉色の表紙で縦26.5糎, 横19.5糎。遊子は、後1丁から成る墨付25丁の譜書である。東京芸術大学の図書館のみが所蔵しており、奏法、音楽理論、曲の謂いわれが詳しく表示され、江戸期の一節切の音楽をさぐるのには貴重な資料である。しかし、書いた年代、人物の名もないため、何時・誰が成立させたものか定かではない。一節切は古い時代から雅楽の形式に沿って、春は双調管(最低音G)、夏は黄鐘管(A)、土用は一越管(D)、秋は平調管(E)、冬は盤渉管(B)の音高の笛を用いて、季節によって使い分けていた。ちなみに『宗左流』の譜書は、双調14、黄鐘26、一越20、平調16、盤渉24、計100の手(曲)からなっている。音高は、下から順にフ・ホ・ウ・エ・ヤ・リ・ヒ・上で表記されており、黄鐘管ではA・B・D・E・G・A・B・D(洋楽表記)の音に相当する。どの譜書にも音高の表記はされているが音長が示されていない。また、ブレスの箇所も、指示されている譜書とないものがある。従って、音の長さ、フレーズが明解ではない。当時にあっては、師匠からの口伝が稽古の基

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