GLOCAL Vol.5
14/20

12し、東濃鉄道の事例では、跡地に隣接する土地の農地としての質や所有者によって、鉄道跡地が古傷のように地域に残り続けるか否かが変わることがわかった。 以上のように、林(2014)では、交通インフラのうち鉄道を取り上げた。しかし、道路や運河などといった鉄道と同様に極めて細長い形状の用地を要する他の交通インフラについても調べていきたい。引用文献林泰正(2014)昭和初期に廃止された鉄道跡地の解体-岐阜県可児市広見地区・東濃鉄道を事例として-.人文地理66-2.20-29.はじめに 明治後期から昭和初期にかけて、近代的な交通インフラが全国各地で整備された。とくに、特定の地域内で完結する小規模な鉄道が、この時期に全国各地で多数建設された。この鉄道建設ラッシュは、後に「軽便鉄道ブーム」などと呼ばれた。「ブーム」という言葉が示しているように、この時代に計画された鉄道の中には、着工すらできなかったものや、開業後すぐに廃止あるいはルート変更を強いられたものも少なくない。 この時期の鉄道を扱った従来の研究では、地域産業と鉄道事業との関連や、鉄道会社へ出資した人物に注目が集まりがちであった。しかし、鉄道が敷設され後に撤去される一連の過程は、土地利用の歴史的な変化としても捉えることもできる。鉄道跡地は、形状が極めて細長いという特有の条件を有し、それ単体での他用途への転用は困難である。そのため、隣接する土地の条件の影響を受けた跡地利用になりやすいことが想定される。事例:東濃鉄道(岐阜県可児市) そこで、筆者は、明治後期以降に整備され、昭和初期以前に廃止された交通インフラの事例として、東濃鉄道株式会社によって所有されていた鉄道路線(東濃鉄道線)の広見駅(現在の岐阜県可児市広見地区に存在)付近を取り上げた(林 2014)。この区間は、1918年に開業し、1927年に国有化された後、1928年に広見駅の移設に伴い廃止された。 第1図は、鉄道敷設前から廃止後までの地目(課税上の土地利用)の変化を示した図である。鉄道が敷設される前、のちに鉄道が敷設されることとなる地域は、南へ向かうほど比較的農地としての質が悪く、かつ大規模な土地所有が展開されていた。一方で、北へ向かうほど比較的農地としての質が良く、かつ小規模な土地所有が展開されていた。鉄道廃止後には、南へ向かうほど鉄道跡地が原野として残る傾向がみられ、北へ向かうほど速やかに田へ戻る傾向がみられた。すなわち、鉄道敷設前における各土地の農地としての質や所有関係が、鉄道廃止後の鉄道跡地が再び田へ戻るか否かに影響を与えている可能性が示された。おわりに 現代であれば、鉄道の跡地といえば、自治体へ所有権が移った後に遊歩道や自転車道などに転用される事例が連想されやすい。しか国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻(院生)林泰正(Yasumasa HAYASHI)1988年生まれ。中部大学人文学部歴史地理学科卒業。中部大学大学院国際人間学研究科修士課程在学中。単著:林泰正(2014)昭和初期に廃止された鉄道跡地の解体-岐阜県可児市広見地区・東濃鉄道を事例として-.人文地理66-2.20-29.共著:林泰正・山元貴継(2012)三重県伊勢市における観光バスの動向.都市地理学7.59-72.大正昭和期における交通インフラと地域第1図 東濃鉄道用地をめぐる鉄道敷設前から廃止後までの地目の変化

元のページ  ../index.html#14

このブックを見る