GLOCAL Vol.4
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24のの、直接対面した日本人個人に対しても強烈な反発を抱くとは限らないのである。 とすれば、日本の人々とアジア各国の人々とが直接対話する機会が増えれば、相手の国の人々に対する反発を持つ人々が少しずつ減少することが期待される。相手国の文化や風習を知る人々が増えれば、自身の何気ない言動が相手国の人々の反感を招くかもしれない、ということを理解できる人々が増える。お互いの言語について知る人々が増えれば、相手国の物言いの一つ一つに腹を立てる人々が減るであろう。 こうした方向性に期待して、歴史地理学科の学部生向け授業であるが、1年生春学期で最初に受講してもらう「日本とアジア(地理)」では、半年かけて日本とアジアの地理的条件の違いについて考えてもらっている。自然地理学概論をベースとし、島国日本と、大陸またはそれにつながる半島の国家である中国や韓国とでは、近接していても自然条件などが大きく違い、結果として積み重ねてきた歴史もどうしても異なってしまう、という内容である。こうした理解のもと、歴史学・地理学専攻の大学院生にも、一方的に「アジアの人々が主張する歴史は完全におかしい」とせず、日本の歴史とアジア各国の歴史とをそれぞれ考えてもらいたいと願っている。 また授業外であるが、筆者が引率して毎年行っている韓国巡検でも、毎回数名ずつの学生たちが初めて日本を出て、ぎこちないながらも現地の方々と会話しようとする姿を見ている(写真2)。最初は観光旅行でも構わない。国を超えた、生身の人間どうしの交流が今後拡大していくことに期待したい。引用文献山元貴継(2000)日本統治時代における韓国地方都市郊外の空間的変容 ―忠清北道清州の事例―.地理学評論73a-12.855-874.は、例えて言うなれば、神社の境内に、外国人にずかずかと入られてしまったような気持ちであろうか。 このように、いわゆる「植民地支配」への現地の認識というのは、面積や金額の大小、被害者数の多少だけでなく、それが「どのような空間と関わっていたのか」に大きく左右される可能性がある。そうした「歴史認識」の相違の発生への追究に、興味を持ちたい。「言語」の壁 ほかに、言語の違いという背景も挙げられる。よく知られているように、日本語と中国語は「漢字」を共有(厳密に言えば字体は大きく異なるが)しているものの、語順など文法は大きく異なる。一方、日本語と韓国語は、後者における「ハングル」と呼ばれる朝鮮半島の民族文字の存在により、一見すると大きく印象を異にする言語に映るものの、実は文法的には驚くほど似通っている。しかしながら、こうした言語どうしの違いも、「歴史認識」のすれ違いに関わっているように思われる。 日本語は韓国語と比べると、「受け身(受動態)」表現が非常に多い言語である、というと、意外に感じられる向きもあるかもしれない。韓国語にも「受け身」表現は存在しないわけではないが、多くの動詞について「受け身」表現は作りにくく、また作れたとしても、日常生活においてさほど使わないのである。例えば、日本でのマンガなどでのセリフ「お菓子を食べられちゃった」は、韓国で翻訳出版されるときには「誰かがお菓子を食べてしまった」となる。そして、これは単に「受け身」表現がひっくり返されているだけではない。日本語で多用される「受け身」表現は、実は、あえて「主語」を立てずに主体をぼかす効果を持っている。「食べられちゃった」と言えば、今さら犯人を追及してもしょうがない、むしろ、そんな他人が食べてしまうようなところに置いておいた自分が悪い、というニュアンスもあるように思える。狭い島国日本、そんなに犯人捜しをしていたらギスギスする、といった「共通理解」があるのではなかろうか。 一方で、大陸と繋がる半島に位置した韓国などでは、悠長にしていたら国土が他者の手にわたってしまうかも知れないという長年の歴史を抱えてきた。常に「自分が」「相手が」を意識した精神世界を積み重ねているように思える。主体をはっきりさせ、ストレートに相手に感情を伝える物言いは、韓流ドラマの人気を後押しする数々のセリフを生み出している可能性もある。代わりに、日本人が多用する「主語」を省略した表現は受け入れられにくい。「植民地支配された」のではなく「日本が植民地支配した」、そして「徴用された」ではなく「日本が(強制的に)徴用した」と理解したいのである。これでは、日本側が行っている植民地統治などに関する説明の多くは、自ら(日本)の責任をぼかそうとしているように映ってしまう。おわりに ― 対話に向けて ― ここまで、日本の「歴史認識」とアジア各国の「歴史認識」とのずれが大きくなる要因について述べてきたが、現地でのフィールドワークからは、そのずれを少しでも埋めていくための方向性も感じることができる。アジアにおいて日本への反発を示す人々の多くは、まさに反日教育で日本に関する情報を多く得てしまいながら、日本人個人とは全く接したことのない戦後生まれの年配の方々や、メディアなどだけで過激な情報を得てしまいながら、やはり日本人とは直接接したことのない若者に多くみられる。しかしながら、多くの研究が指摘するように、アジア各国の人々は、国家としての「日本」に対しては得体の知れない反発を抱いていることが多いも歴史学・地理学図 写真1の周囲の山々における墓地の造成写真2 恒例の韓国巡検

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