GLOCAL Vol.4
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14トモシケチハ葬ノ心也。不生不滅ノ理ニ叶フ」として指し示している。そして、この正徹から心敬へ伝えられた注釈は旧注の中で、最も早い時期に、「本覚ノ都」や、「不生不滅」を明示しているものと考えられる。ほんのわずかに早い時期に成立した一条兼良の『伊勢物語愚見抄』の「たとひなく声をきかずとも、つゐにきゆまじきうへは、思の色は見ゆべしといふ心也」という注釈をここに挟み込んで考える時、明らかに正徹から心敬が受け継いだ内容が、その後、宗祇から明示されていく思想の先駆けになっている事がわかるのである。一条兼良の「つゐにきゆまじき」という表現は、冷泉家流の「不生不滅」の事を言っているものとも捉えられるが、主語がわかりにくく曖昧な表現であり、正徹から心敬へ伝えられた伝授の内容とは一線を画すものと言えよう。湯浅氏が前掲「心敬と伊勢物語」で、正徹から心敬への聞書では「いとあはれ泣くぞ聞ゆる」と本来解釈される所が、「いとあはれ無くぞ聞ゆる」と解釈されている事が本聞書の独自性であると指摘している。たしかに、一条兼良の「たとひなく声をきかずとも」という解釈だと明らかに「泣く」と取っている。しかし、正徹から心敬への聞書では「死スレドモアハレナシ」「不生不滅ノ理ニ叶フ」とつながることから、たしかに湯浅氏の指摘するように「いとあはれ無く」と解釈するのが妥当のようである。この部分の解釈を受け継いでいるという意味では、宗砌、専順、心敬に連歌を学び、東常縁に古今伝授及び伊勢物語伝授を授けられた宗祇は極めて重要な場所に位置する。山本登朗氏『伊勢物語論 文体 主題 享受』(笠間書院、2011)は京都大学蔵本『伊勢物語宗祇注』を根拠に、宗祇が常縁から古今伝授とともに伊勢物語伝授を授けられた事に言及している。■宗祇の心敬句批評 宗祇の『伊勢物語山口記』にある「一切衆生は、法界の五大がむすぼゝれて人となれる物也。分散すれども法界五大の火なれば、つゐに消る事はなしと云也」は、その後元禄期の北村季吟に至るまで、一貫してこの注釈が底流をなしている。心敬の「本覚」を「法界の五大」に置き換え、「不生不滅」を「非真滅」に置き換えてはいるものの、宗祇が『伊勢物語』の注釈においても連歌の師である心敬の影響を受けた可能性は考慮しても良いものと考えられる。これを考える上で大変参考になるのが、宗祇の『老のすさみ』(日本古典文学全集)の心敬の付句に対する次の宗祇の批評である。風も目に見ぬ山のあまびこ物ごとにただありなしをかたちにて風もあまびこも、あるものにはあれど、また空体なり。されば、ありなしが則ち形なり。物事にとは、この二つにて一切の空仮を悟る心なり。(中略)尤も難儀たるべきを如此付け出づること、神変のことにや。宗祇は心敬の句についてこの『老のすさみ』の中でいくつも紹介しているのだが、とりわけこの付句に対する宗祇の解説では、「不生不滅」「五大」という事がその底流にあり、それをさりげなく付句で表現しえた心敬の句を「神変のことにや」(神のしわざではないでしょうか)などと絶賛しているのである。ここでは、「風」と「あまびこ(山彦)」があるにはあるのだけれど「空」であり、一切の物事が「空」である事を悟る心なのだと宗祇は解説している。この宗祇の心敬への傾倒ぶり、あるいは「空仮」に対して示す深い理解を考慮に入れるならば、『伊勢物語』三十九段の宗祇の注釈は宗祇が冷泉家流古注に直接よったというよりは、連歌の師である心敬の影響を受けたものとするのが妥当であるものと考えられる。宗祇の弟子肖柏『伊勢物語肖聞抄』は「法界の五大なれば、死するも又空からずと云也(是亦非真滅ノ心也)」として明らかに宗祇の注釈を受け継いでいる。■古今伝授と本覚思想 また、この考え方は、『古今集』の秘伝である古今伝授の中にも入り込んでいる事を指摘出来る。宮内庁書陵部蔵『古今和歌集』全十二冊の第一冊目『古今和歌集見聞愚記抄』(『古今秘伝集』)に、その切紙とそれに関わる口伝、伝授次第などが記されている。これは、常縁から、宗祇に伝えられ、頼常、素純へと伝えられている。その内容を見ると、この「ほのぼのと」歌についても切紙で書かれている表の部分と、口伝で伝えられている裏の部分がある事が窺える。その裏の部分に、『伊勢物語』で正徹が「秘々」とした解釈で、心敬の聞書の方には書かれている「本覚の都」という言葉に近似した言葉があらわれている事が知られる。「切紙の上口伝」には次のように書かれている。ほのぐの哥の事、生老病死の四魔と云事不可用之。嶋がくれは八嶋の外へこぎはなるゝと可心得。則此家をさるの心也。此哥ほのぐとあかしとつゞけて明闇をいへる而己。又明行方へいへり。旅の部に入たる事甚深の妙也。浮世の旅、終に誰も本覚の故郷に可帰るよしにこそこのように、古今伝授においても、人丸の「ほのぼのと」歌に対する『両度聞書』や、宮内庁書陵部蔵『古今和歌集』の切紙の表側にはとらえられない本覚思想を、裏の説を伝える「切紙の上口伝」では、「浮世の旅、終に誰も本覚の故郷に可帰るよしにこそ」としている点は着目に値する。つまり、ここでも『伊勢物語』注釈において「本覚の都」を、正徹が「秘々」としたものを、常縁もまた二重構造にして同様の表現で「本覚の故郷」を秘して伝えているからである。常縁は、和歌を正徹に学んでいるから、「本覚の都」と「本覚の故郷」の言葉が似通っているのは、秘伝の出所が同じであった可能性が考えられる。宗祇という人物は、心敬からも、常縁からも、この『伊勢物語』三十九段の解釈に本覚思想を取り込み得る事が出来た可能性を指摘出来るのである。 大学院の『ささめごと』の演習をきっかけに、『伊勢物語』伝授や、古今伝授に秘された天台本覚思想への考察に辿り着いた。その一部をここに紹介させていただいた。言語文化

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