GLOCAL Vol.4
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2014 2014 Vol.4Vol.42014 Vol.4大学開学50周年記念号大学開学50周年記念号大学開学50周年記念号13替え入りで、1990年代から放送されており、子供に人気がある。 しかし、戒律に忠実なイスラム教徒にとっては、アニメ内に登場する女性の肌の露出や流血シーンなど、日本では当たり前に許されている要素がことごとくNGになり、吹き替えでセリフだけでなく設定そのものが変更されたり、そうしたシーンが丸ごと削除されたり、といったことが頻繁に行われている。 このようなことが起きるのは、日本の供給側が国内市場しか想定していないためである。もし今後、国策として外国に輸出していくのであれば、当然、諸外国の文化、宗教に対する配慮が必要になってくる。 そして、このことはイスラム文化に対してだけ発生する問題ではない。それ以前に、グローバル・スタンダードに沿うことへの配慮に欠けていることが問題である 。■今後の課題 以上のように、日本自体が、独特なローカリティをもっていることに自覚的になる必要がある。これは、日本独自な文化と言える反面、日本の前近代性とも言えるものでもある。いわゆる「ガラパゴスケータイ」に象徴されるように、グローバル市場を狙わず、日本国内市場で売れればいいという意識が、日本独自の規格を守り通すことになり、つまりイノベーションを自ら止めたせいで、外国からのスマートフォン流入によってことごとく打ち負かされることになった。こうした既得権益を死守する前近代的な政治文化を廃することは、今後ますます求められるだろう。 当面の問題となりそうなのは、アメリカの自由主義と、ヨーロッパの保護主義の間で、日本はどのような独自な立ち位置に立つのかということである。  メディア論という学問分野に関しても、国際政治情勢、グローバル経済など大局的視野、また、長期的展望からメディア、インターネットについて考えていく必要がある。こうした研究への取り組みはまだ始まったばかりである。岡本 聡日本語日本文化コース准教授■心敬『ささめごと』の演習 大学院の授業で、昨年、心敬の連歌論『ささめごと』を扱い、私自身もだいぶん勉強になった。これに関しては、「心敬と『伊勢物語』注釈ー「五大」思想を底流としてー」(『心敬十体和歌』和泉書院 2014年刊行予定)という題で論文にするつもりである。本稿は、その論文のダイジェスト版のような形で書かせていただく。■「五大」思想と『伊勢物語』注釈 「五大」(火・土・風・水・空)という考え方に興味を持ったのは、芭蕉の禅の師である仏頂禅師が「四大」(火・土・風・水)循環の考え方を説いていたからである。『仏頂禅師語録』(高木蒼梧『忘岳窓漫筆』、東京文献センター、1970年)には次のようにある。四大トハ地大、火大、水大、風大ノ四ツヲ云ナリ。(中略)四大仮合スルトキンバ天地万物各ソノ形ヲ仮作スルヲ生ト云ヒ、四大仮ニ散ズルヲ死ト云ナリ。 この「四大」が仮に結合したものが「生」、仮に分散したものが「死」というものなのに、世の中の人々は生を愛し、死を憎むという考え方が書かれている。 『伊勢物語』の注釈や、古今伝授の中にもこの「五大」という思想を確認出来る。最も古く「五大」という言葉を確認出来るのは、宗祇あたりであろうと思われる。それ以前には、同等の思想が背景にあったものとは考えられるものの、直接「五大」という表現は用いられていない。 『伊勢物語』三十九段の内親王崇子が亡くなった場面の源至の歌「いとあはれなくぞきこゆるともしけち消る物とも我はしらずな」の注釈として宗祇の『伊勢物語山口抄』には次のように書かれている。きゆる物とも我はしらずなとは一切衆生は法界の五大がむすぼゝれて人となれるもの也。分散すれども、法界五大の火なれば常にきゆることはなしと云心也。 ここでは、「地水火風空」という言葉が明確に使われている。それ以後は少しだけ表現を変えられながらも忠実にこの「五大」思想が受け継がれていく。 最も古い『伊勢物語』注釈(和歌知顕抄系)にはこの考え方は確認出来ず、冷泉家流という古注釈から、その死生観が一部現れてくる。旧注の早い時期に正徹がそれを「秘々」として現している。そして、正徹の弟子心敬が伝授された秘歌の内容を「本覚の都」(「五大」の「空」を現しているものと考えられる)と表現し、その後更に宗祇がこの内容をもう一歩踏み込んで、この秘伝思想の中身を明らかにしている。【伊勢物語正徹自署】(正徹 蜷川智蘊筆 応永三十二年成立 片桐洋一氏蔵)秘  々いでゝいなばー秘  々いとあはれー【伊勢物語聞書】(正徹から心敬 文明十一年 宮内庁著陵部蔵)此二首何も秘哥也。色々説在之。出テいなばの哥、此哥秘也。心ハ今此人ノ死スト云ハ此世コソカギリナレ、本覚ノ都ニ帰ナバ年ハヘヌベシ。返歌ノ心本ヨリ死スルト云事ナケレバ、死スレドモアハレナシト云也。トモシケチハ葬ノ心也。不生不滅ノ理ニ叶フ。 『十巻本伊勢物語注』や『増纂伊勢物語抄』など冷泉家流の古注を受け、正徹は、この二首を「秘々」とした。正徹が「秘々」とした内容が、仏教的死生観に関わる「不生不滅」の冷泉家流(『十巻本伊勢物語注』や『増纂伊勢物語抄』など)と言われる注釈書類の解釈であることは、正徹から心敬への文明十一年の伝授である宮内庁書陵部本『伊勢物語聞書』によって判明する。この『伊勢物語聞書』には、「此二首秘哥也。色々説在之。出テいなばの哥此哥秘也」として『伊勢物語正徹自署』の「秘々」という正徹の朱書書き入れを裏付けながら、その「秘」された内容を「心ハ今此人ノ死スト云ハ此世コソカギリナレ、本覚ノ都ニ帰ナバ年ハヘヌベシ。返歌ノ心本ヨリ死スルト云事ナケレバ、死スレドモアハレナシト云也。言語文化

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