GLOCAL Vol.3
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6中部大学大学院 国際人間学研究科教授 国際政治学 人間の安全保障 国際ジェンダー論羽後静子(HANOCHI Seiko)カナダ・ヨーク大学大学院政治学研究科博士課程修了。ヨーク大学国際安全保障研究センター研究員を経て、2004年より中部大学で教鞭をとる。2007年に中部大学を事務局として国連大学中部ESD地域拠点に認定されるにあたり、中部地域の市民ネットワーク発足に関わり、高蔵寺や勝川駅前商店街でESD実践活動を行う。会いの場として活用する試みもあり、大学という場を「コミュニティの中心」あるいは地域の拠点として地域住民の連携や世代間交流の拠点として新しい意義を担っていくことになる。国連もまた、コミュニティを中心にした持続可能な地域社会を推進するため、持続可能な開発のための教育(ESD)を提唱しているが、2007年10月中部大学は、国連大学により認定された世界で36番目のESD地域拠点大学となった。中部地域の12の河川を中心に、愛知、三重、岐阜を伊勢・三河湾生命流域圏といい、生態系のみならず政治経済、文化的に学際的にとらえるため、特に「生命流域圏」というコンセプトを発展させてきた。以下では、「生命」の観点からコミュニティと大学の可能性を考えてみたい。ケアするコミュニティと大学 最近の生命科学においては、遺伝情報と脳情報という2つの「情報」というキーワードから生命をさらに深く説明しようとする研究が発展してきているが、今後は、情報概念の中心が遺伝情報からむしろ脳情報へシフトしていく可能性があり、そうなると脳情報から生命を読み説く作業として、その脳が置かれている社会環境、つまりコミュニティの存在やあり方が大きな役割を果たしていることが科学的にも証明されることになる。認知症の高齢者のケアにおける地域やコミュニティの新しい公共圏の登場 ポランニーのいうように、伝統社会においては、交換、再分配、互酬性に基礎に置いた相互扶助的な関係が共同体の中心にあった。しかし、18世紀以降の産業化と工業化の展開においては、こうした社会の秩序は、一方で「私」領域としての市場経済が飛躍的に拡大し、他方では市場に対して様々な介入を行う「公」の領域としての政府部門が展開してきた。さらに日本では、明治国家が富国強兵を掲げ、戦前戦後を通じて高度経済成長期までは、総力戦体制のもとでの軍事化と工業化の中で、「公」「共」「私」のすべてが国家へと収斂していった。しかしながら、先進西欧諸国では日本を含めて、戦後の国家を単位とする高度成長期が終わると、国家レベルではなく地域コミュニティのレベルで、以上のような「私」と「公」とも異なるいわば「新しい公共」の領域が展開することになる(下の図を参照)。「公―共―私」をめぐる構造の歴史的変容は、以下のように一般化される。 「公」……国連 国家(政府)、地方自治体。 「(新しい公)共」……地域コミュニティを支えるボランティア、NGO/NPO、コモンズ、相互補助、コミュニティ。 「私」……企業(多国籍企業、国内企業)、特に地域コミュニティの固有な中小企業、市場。 その中で、「新しい公共」は、伝統的な共同体とは異なり、自立的な個人をベースとした自発的かつ開かれた性格の共同体を支える社会資本として磨き上げられる必要がでてきているのである。この領域は一方で市民的公共性の担い手として、それまで政府が担っていた役割をNPOやNGOが担っていく。他方では、市場経済の主体であった企業もまた、「営利と非営利の連続化」という流れや企業の社会的責任(CSR)などの文脈から部分的には、「新しい公共」の領域ともクロスオーバーしていくこととなるのである。さらに以下に述べるように、新しい公共の担い手としての大学の役割が問われるようになった。ポスト産業社会と大学 高度経済成長期を終えたポスト産業社会ないし定常化の時代においては、伝統知の再発見と再評価、新しい社会の知識や文化の創造が社会や人々の関心事となってきている。環境、歴史を踏まえたローカルなレベルでの知、福祉、環境、まちづくりに関する市民活動が活発になるにつけ、「コミュニティの中心」としての大学の役割が重要になってくる。筆者が関わっている勝川駅前通り商店街では、月1回中部大学の教員、学生、市民で弘法塾を行っているが、大学と近隣の商店街が様々なかたちでコラボレーションするなど、まち全体を一つの大学ないし、キャンパスとして講師を招き、それをコミュニティにおける出大学は、地域コミュニティと信頼関係をつくれるか?~高蔵寺ニュータウン・シンポジウムを終えて~

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