GLOCAL Vol.3
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1開かれた大学院をめざすシンポジウム 中部大学国際人間学研究科は、2011年度から専攻連携シンポジウムと地域連携シンポジウムを年間で2~4回、開催するようになりました。これまでに9回開催し、2013年度中に、さらに2回開催する予定です。大学院で教育・研究に携わる教員は、学内では院生を対象に講義を行ったりゼミを開講したりしています。また学外では、共同研究に参加したり学会で研究発表を行ったりしています。本研究科主催のシンポジウムは、そうした知的活動をさらに広げるために、専攻分野の違いを超え、また大学と地域との間の垣根を超え、開かれた大学院をめざして行っています。 大学や大学院はもともと、世の中のことすべてについて理解を深め、平和で豊かな世界をつくるために、教育・研究の側面から社会に対して貢献する役割を担っていると思います。大学院には組織として専攻分野の枠組みがありますが、現実世界はそのような枠とは関係なく存在しています。現実世界の一部を切り取り、それに関わる共通のテーマをめぐって専攻分野の異なる教員が開かれた場で意見を交わすのは、きわめて貴重かつ刺激的な活動です。実際、普段は身近なところにいながら専門的意見を交わすことが意外に少ない同僚の学問的見解をシンポジウムの場で聞くのは、新鮮な体験です。 地域連携シンポジウムでは、中部大学のある愛知県春日井市とその周辺の地域を対象に、地元と関わりの深いテーマを取り上げて議論してきました。第1回目のシンポジウムでは、中山道の下街道が春日井市内を通っていたこと、また国鉄中央線がこれと並行して建設されたことから、交通の歴史と地域の関わりについて意見を交わしました。地元の歴史に詳しい郷土史家と本学教員との間の学問的交流は、まさしく地域連携にふさわしいものでした。このシンポジウムをきっかけに、「尾張地方の文化の継承」「戦国期の尾張と春日井」「高蔵寺ニュータウンの持続的まちづくり」などに関するするシンポジウムを開きました。 地域連携の「地域」には、地球上の特定の場所という意味のほかに、人々が普通に暮らしている生活の場所や空間という意味があります。そのような地域で生じている現象や問題は、一見、個別特殊的に見えますが、実際には一般的要因によって科学的に説明できることが少なくありません。たとえば「ことばと心理」をテーマに行ったシンポジウムでは、普段あまり気に留めない人間行動の裏側に潜む「心模様の科学的メカニズム」について説明がなされました。説得力のある説明に、参加者の多くは得心した様子でした。別のシンポジウム、「グローバル人材の教育と企業」では、たとえ言語、文化、歴史が違っていても、根本的に人間は理解し合えるということが述べられました。これを聞き、異文化理解の能力を高めて海外でも活躍できる人材を育成する大学院の教育的責任の重さをあらためて痛感した次第です。 1回のシンポジウムを開催するには、テーマの選定、講演者への依頼、会場の確保、広報・宣伝など、実に多くの準備が必要です。この間、報告する当の教員はもとより、裏方で支援する他の教員・職員それに院生など、多くの人々の努力や協力が不可欠です。通常の教育・研究活動とは別の活動であるだけに、協力を求める方としてもいささか気が引ける面があるのは、正直、たしかです。しかし、こうした機会を通して地元の方々をはじめ大学内外の人々と懇意になり、その結果、学問研究をさらに広げていける可能性が高まるように思われます。とりわけ院生にとっては、自らの研究のあり方や研究方法を見なおしたりテーマを広げたりするのに、シンポジウムと関わることが役に立っているように思われます。市役所、商工会議所、各種NPOなど、これまで大学とはあまり関わりのなかった組織や人々とのつながりも、シンポジウム開催の成果のひとつだと思います。 大学・大学院は、世の中の動きより少しだけ先に出て、これからの社会のあり方を考える役割を担っています。世界がどのような方向に向けて変わっていくのか、また変わっていくべきか、多方面から論じあう機会を提供する場でもあります。地球的規模で変化していく現象から目を離すことはできませんが、同時にまた、身近なところで起こっている日常的現象にも目を向ける必要があります。グローバルとローカル、まさに小誌のタイトルでもある「GLOCAL」な視点から世の中の動きを見つめる必要があります。本研究科は、大学・大学院に所属する教員や院生による生きた学問研究が、大学内にとどまらず、地球社会や地域社会の中にまで広がっていくように、これからもシンポジウムを開催していきたいと考えています。2013年10月 林  上(中部大学国際人間学研究科長)巻頭言

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