GLOCAL Vol.2
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2013 Vol.22013 Vol.23 これらの例に共通するのは卓越した仕事の達成には強いネガティブな感情が潜んでいるということだ。感情を核にした動機づけ理論の展開 先に述べたように認知がすべての動機づけを規定しているとは考えられず、特に感情を動機づけの主たる構成要素とする動機づけ研究はほとんど進んでいない。しかし、最近それらに関連すると考えられる仮説や実験が散見される。まず、ネガティブな感情と動機づけの関係についてだが、たとえばCarverら(2004)は目標と結果のズレの程度と動機づけの関連について次のような予想をしている。すなわち、目標より遙かに高い結果を出した場合には喜びはあるが次への動機づけは低い、そのズレが小さくなればなるほど次への動機づけは高くなる。そして、次への動機づけが最も高くなるのは成功した場合よりも目標にあと少しで失敗した場合であるという。その場合には怒りや欲求不満というネガティブ感情が強い動機づけを引き起こす。しかし、目標とのズレがさらに大きくて失敗した場合には落胆とか失望の感情が生まれ動機づけを急激に低下させるという。 次に特に怒りの感情は対象を回避するのでなく対象に接近しようとする動機づけ機能を持つ点でむしろポジティブ感情の性質に似ているとの指摘がある。最近、接近動機づけの背後には神経基盤として行動接近システム(BAS)が、回避動機づけの背後には行動抑制システム(BIS)があるとされ、その測定法なども開発されているが、実験的に欲求不満状況をつくり検討したところ、その時生起した怒り等のネガティブ感情の強さはBASの傾向の強さと関係したがBISの傾向の強さとは関係しなかったという。またニューヨークのテロの2週間後に人々に感情を尋ねたところ、怒りの感情の強さはBASの傾向の強さに関連し、恐怖の感情の強さはBISの傾向の強さと関連していた。 さらに脳の研究として左前頭前野に接近動とんど認知を介在させずに行動が生じている場合も少なくない。一つはいわゆる習慣的行動である。たとえば多くの主婦たちは毎日のように炊事をしたり、洗濯や掃除のような家事をこなしているが、これらは行動する度にその理由や目的、結果の原因を考えているわけではないだろう。毎日のようにある時間になれば、自然と体が動いているのではなかろうか。実はこのような行動は家事だけではない。洗面をする、身繕いをする、自動車を運転して勤め先に行くというような毎日繰り返されているような行動はすべてほとんど無意識的になされていると考えられる。これらの行動に共通するのは学習や仕事のように生産的活動とは言い難いものだということだ。毎日のようにリセットすることが必要とされる行動といえるかもしれない。そのため、我々は概してこれらの行動をすることに特別の喜びを感じたり、逆に「できるか、できないか」といった期待や不安をもつことは少ない。おそらくこれまでこれらの行動について「動機づけ」という言葉で心理学的に説明されたことはなかった。しかし、家事でも毎日、丁寧に行う人もいれば、食卓にほとんど出来合いのお総菜を並べたり、掃除も来客があるときしかしない人もいる。また同じ人でも鼻歌交じりで洗濯ができる時と、洗濯すらやる気になれない時がある。だとすれば、このような行動にも動機づけややる気が働いていると考えることは間違っていないと思われる。 さて、これまで述べてきた習慣的行動はいわば弱い動機づけにより生じるものであるが、認知をほとんど介さないで強い動機づけ、顕著な行動が生じることもある。前者が日常的行動であったのに対してこれは非日常的行動とでもいえるもので、個人の人生をかけた顕著な達成であったり、集団で行う斬新なプロジェクトの達成であったりする。たとえ ば、立花隆+東京大学教養部立花ゼミ著(2002)に数学者秋山仁氏にインタビューしたものが記載されている。それによると秋山氏は大学で数学を専攻し大学院を目指すが、所属していた大学の大学院には行けず、他の大学院になんとか合格する。しかし、ここでも指導教授に「君の才能では数学は無理かもしれない」とまで言われ、何日か徹夜して書き上げた修論まで破って捨てられる。その後、何年か後に秋山氏は数学者として大成することになるが、彼自身、努力する才能がある人とは屈辱を敏感に感じる心をもっている人だと述べたり、失敗してもその悔しさを人一倍感じるから次の飛躍のバネになると考えている。この例では、目標という意味での認知は確かに働いていようが、行動を前に前にと進めている動機づけの源は「屈辱感」という強い感情であるように思われる。 他にもNHKで放映された「プロジェクトX」や「プロフェッショナル仕事の流儀」には認知というより強い感情が動機づけの中核になっていると思われるような例が多い。たとえば胃カメラ開発に携わった宇治という医師と杉浦という技師の話があるが、彼らは二人とも第二次世界大戦に参戦して多くの仲間が亡くなっていくのを目のあたりにして命の大切さを人一倍感じていた。仲間の死に対する悲しさや悔しさ、さらには自分だけは生き残ったという罪悪感のようなものがその大きな仕事を完成させる力になっていたように思われる。また、有名な左官職人である狭土秀平氏は成功するのは臆病で、怖いとか恐ろしいとか感じている人が勇気をだすからだとしている。

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