GLOCAL Vol.2
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2動機づけに認知は常に中心的機能を果たすのか 現在の動機づけ研究の内容は「学習」と「仕事」がほとんどといえる。そしてこれは、それらが子どもと大人の代表的な生産的活動であることと関係している。それらを対象とした動機づけの理論が認知変数を中心に構成されてきたといえる。しかし、人間の行動の背景にあるあらゆる動機づけを想定した時、それらはすべて認知によって説明できるのだろうか。認知変数を中心に動機づけ理論を構成するということは行動の目的や理由、原因等について意識していることを前提にしている。しかし、よく考えてみれば、行動を開始する時も、行動遂行中も行動し終わった後も常にそれらの認知変数について考えているわけでもない。もちろん、認知が働いていることを前提にして「先生にほめられたいから勉強するのですか」とか「試験の失敗は努力不足だったと思いますか」等、問いかけられればそれに沿って答えることはできよう。このように心理学における動機づけ研究は、人は認知を通して動いているものという前提で考えてきたのではなかろうか。つまり、私なりの比喩でいえば、研究者は研究協力者が十分意識していないような認知も強引にその人の頭の中に手を突っ込んで無理矢理引き出してきた。 だが現実の人間の行動を眺めてみると、ほ国際人間学研究科 心理学専攻教授速水敏彦(HAYAMIZU Toshihiko)1975年名古屋大学大学院教育学研究科博士課程修了。『教室場面における達成動機づけの原因帰属理論』で教育学博士(名古屋大学)取得。名古屋大学名誉教授。近著に『感情的動機づけ理論の展開—やる気の素顔—』(ナカニシヤ出版)、近編著に『仮想的有能感の心理学—他人を見下す若者を検証する—』(北大路書房) hayamizu@isc.chubu.ac.jpこれまでのやる気の考え方 心理学でいう「やる気」とか「動機づけ」は目標志向行動を実行する潜在的エネルギーと考えられる。潜在的なものなので実際には目にみえないものということになる。そこで動機づけ研究では様々な構成概念が提案され、それらが機能して現実の行動が生じていると仮定される。そして、動機づけの最も基本的な分類の仕方として「外発的動機づけ」と「内発的動機づけ」という区分がある。前者は外部、環境から引き起こされた潜在的エネルギーを指し、後者は本人の内部から生じた潜在的エネルギーをいう。より具体的にいえば、褒美や賞賛を得ようと仕事や学習をするとすればそれは外発的動機づけで行動したことになるし、やること自体が楽しくて仕事や学習をする場合は内発的動機づけで行動したことになる。前者は手段化した行動、後者は目的化した行動という言い方もできる。いうまでもなく後者の動機づけ方が社会的に見ても行為者にとっても概して望ましい。それに関連して最近では「行動の理由」を直接、行為者に問うことによってそれが外発的動機づけか、内発的動機づけかを見極めようという考え方が多い。「親に強制されたから勉強する」というのはもちろん外発的動機づけということになるし「興味・関心があるから勉強する」「知識が増えるのが楽しいから勉強する」というのは内発的動機づけである。 しかし、「試験に合格できるか不安だから勉強する」とか「将来、アナウンサーになるのに国語は重要だから勉強する」というのは先の分類では確かに手段的行動なので外発的動機づけであるが一応自分からやろうとしているので「親に強制されたから勉強する」というような外発的動機づけよりは積極的、自発的である。そこで、その性質を自己決定性という言葉で表現し、自己決定性の程度によって様々な外発的動機づけから内発的動機づけまでを連続帯状のものとしてとらえようとする理論もある。 さらに一般的にも比較的よく知られた動機づけ関連の構成概念として自己効力感とか、コンピテンス、期待、原因帰属といった概念がある。そして先の行動の理由にしてもこれらの概念にしても実は本人の認知を問題にしているといえる。ここでいう認知は自分の考え方や見方というほどの意味である。行動の理由はもちろん「なぜ自分はその行動をしているか」と自問して得られるものである。自己効力感は「ある結果を生み出すために必要な行動がどれほどできるか」という認知であり、原因帰属は過去の行動結果の原因が何であったかを考えることで得られたものである。ことほど左様に現在の動機づけ理論の多くは認知的な概念から構成されており、認知的動機づけ理論といわれている。やる気の正体 —認知的動機づけ理論を超えて—

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