GLOCAL Vol.2
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8vol.26 no.s 1 and 2 (2004), pp.17-20.6)Tiratsoo, N., Reconstruction, Affluence and Labour Politics: Coventry 1945-60, London, 1990, p.29; Hubbard, P., Faire, L. and Lilley, K. D.,‘Contesting the modern city: reconstruction and everyday life in post-war Coventry’, Planning Perspectives, vol.18 (October 2003), pp.377-397.7)Motouchi, N., ‘Planning and Rebuilding in the English County Town, Worcester and Bedford, 1939-60’, unpublished Ph.D.thesis, University of Luton, 2004; 本内直樹「英国州都ウースター市再建計画の構想と現実1939‐1960年」『社会経済史学』第71巻5号、2006年1月。8)ちなみに同年の他都市の地方選挙投票率は、ブリストルで43.6%、ウースターで48.9%、ベッドフォードで48.7%といずれも過半数を下回っている。9)Mason, T. and Thompson, P.,‘“Reflections on a revolution”? The political mood in wartime Britain’, in N. Tiratsoo (ed.), The Attlee Years, London, 1991, pp.54-70. 10)Silkin, L., Report of the Summer School, Town and Country Planning Summer School, (1949). (Ward, Planning and Urban Change, p.112に重引。)またシルキンは、1953年にも都市計画専門家らを前に「計画と国民」と題した講演を都市計画協会にて行い民主的計画を奨励した。Silkin, L., ‘Planning and the Public’, Journal of the Town Planning Institute, vol.39, no.2 (January, 1953), pp.26-33.11)Bevan, A., ‘Conference on housing layout in theory and practice. Part1: Address by the Minister of Health’, Journal of the Royal Institute of British Architects, (July 1948), p.382.12)Fielding, S., Thompson, P. and Tiratsoo N., “England Arise! ”The Labour Party and popular politics in 1940s Britain, Manchester, 1995, pp.102-104.13)本稿では、単一コミュニティ形成志向の計画理論に対するいわばアンチテーゼとして、ロックの民主的計画構想を紹介したが、実際、1940年代において近隣住区論は即座にそれが多くの都市計画家・建築家の間で、非現実的な構想と判断・否定され、急速にその有効性が消失してしまうのに時間はかからなかった。計画専門家ら(Chambers, H. F., Eagles, J. S., Miss Harford, L. M., Lock, M., Nicholas, R.. and Reiss, R. L.)による近隣住区論をめぐる是非の議論については、‘Brain Trust: The Planning of residential neighbourhoods’, Town and Country Planning, vol.19 no.54 (summer 1946), pp.78-84.また、近隣住区論が次第に有効性を保持し得なくなった現実を分析したものに、Homer, A.,‘Creating new communities: The role of the neighbourhood unit in post-war British planning’, Contemporary British History, vol.14 no.1 (2000), pp.63-80がある。14)Fielding et al., op. cit., p.106 .ウースター市においても1948年に社会学者J.H. マッジは、社会調査で社会的混在social mixingが観察されなかった事実を明らかにしている。Madge, J. H.,‘Some aspects of social mixing in Worcester’, in Kuper, L. (ed.), Living in Towns, London, 1953, pp.265-294.15)Fielding et al., op. cit., p.107.な、かつてのイングランド農村社会の麗しき魅力をなんとか喚起しなければならないのである11)。労働党における都市計画の推進派は、異なる階層の人びとがお互いに共同施設などを活用することによって連帯感のようなもの、つまり共同体精神community spiritが成長していくような集産的社会collective societyを理想としていたのである。しかし1940年代の労働党の目に映った社会とは、既存都市の無秩序な膨張と乏しい交通ネットワークによる孤立化による人間関係の希薄化、地域の共同体感覚、責任感や連帯感の欠如が観察されるものだった。そこで共同体感覚の希薄化の克服こそ労働党が都市計画に託した究極の目標であり、その為には、住宅配置計画に細心の注意が払わねばならないとされた12)。 そこで注目されたのが、労働党シンパの場合、「近隣住区論」であった。労働党は、住宅地の分散化を抑制すると同時に、社会的バランスのとれた階層からなる共同体の建設、そして親密な共同性の感覚を涵養することを目的とした近隣住区論の構想に共感を示したのだった13)。しかしながら、こうした構想の実現化に対する労働党の楽観的な展望は、直面する現実により裏切られるのだった。労働党が究極の目的とした集産的社会の実現が実らなかった原因とは、計画者の意図に容易に染まらない、人びとの実質的な生活態度や堅固な社会的傾向といったものにあった。社会学者たちもほどなく、戦後に必ずしも共同体精神の成長が見られるような兆しがなかったことを指摘し始めていた。 1954年にバーミンガム大学の社会学者による社会調査によれば、綿密に配置計画が意図された住宅と社会施設といったものは、住民どうしの親密性を形成するための、ただのきっかけにすぎないものであり、現実には住民どうしの間に親和的で友好的な関係が生じたというより、むしろ嫌悪感を引き起こす点が報告されたというのである14)。また、中産階級の間には、労働者階級と同じ生活圏で暮らすことを望んでいるような兆しなどほとんど無かったことが指摘され、比較的裕福な住宅地の住民たちは、彼らの近隣に、労働者階級が入居する公営住宅が建設されることに反対運動を起こしたりする事例が見られ た15)。つまり、人々の現実生活にみられたプライヴァシーの重視や、無関心や、ときに階級敵対心・嫌悪感といった態度に現われた社会的傾向といったものに近隣住区論の構想は覆されてしまったのであった。 以上述べたように、より民主的な戦後社会の建設を目指した都市計画家の努力にもかかわらず、市民の強固な保守的体質や無関心さといった複雑な反応に直面し、イギリスの戦後復興の理念は、大きく後退していったのだった。【付記】本稿は、2011年10月に行われた国際人間学研究科・専攻連携シンポジウム「世界のまちづくり」で報告した、「イギリスの戦後復興ヴィジョンと都市計画~歴史研究の視点から~」の一部を紹介したものである。1)詳細ついては、本内直樹「戦後イギリス都市再建史研究の諸論点−新しい理想社会New Jerusalemの後退をめぐって−」『経済学雑誌』第107巻第1号、2006年を参照されたい。2)N. Tiratsoo, J. Hasegawa, T. Mason and T. Matsumura, Urban Reconstruction in Britain and Japan, 1945-1955, Luton, 2002; ティラッソー・松村高夫・メイソン・長谷川淳一『戦災復興の日英比較』知泉書館、2006年。3)Max Lock Centre Exhibition Research Group, Max Lock 1909-1988, London, 1996.4)近隣住区論とは、20世紀初頭にアメリカの社会学者C.A.ペリーPerryによって考案された計画的な郊外開発論である。各住区が、人口5,000‐10,000人の規模に計画され、住区内に学校、教会、病院、オフィス、商店、スポーツ施設、図書館、カフェ、映画館、コミュニティ・センターなど全ての生活関連諸施設が兼ね備えられ、また住宅配置に沿って公園、緑地、歩行者専用道路の整備も図られるなど、市中心部に依存する必要のない自己完結型コミュニティが計画されるものであった。5)Motouchi, N. and Tiratsoo, N.,‘Max Lock, Middlesbrough, and a forgotten tradition in British post-war planning’, Planning History,

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