GLOCAL Vol.1
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7国際人間学研究科 国際関係学専攻教授河内信幸(KAWAUCHI Nobuyuki)専門はアメリカ現代史・国際関係史。博士(文学・金沢大学)。長い間、1930年代のニューディール政策を研究してきたが、最近は、第二次大戦後から現代にまで至るアメリカ社会の諸問題と取り組んでいる。近(編)著に、『グローバル・クライシス』(風媒社)、『現代アメリカをみる眼』(丸善プラネット)など。 kawauchi@isc.chubu.ac.jpが、未曾有の社会危機のなかで先駆的に展開された3)。 ところが、これらのニューディールの芸術プログラムは、第二次世界大戦と「戦時体制」によって終焉してしまった。そのため、終戦後から1950年代までのアメリカでは、国家のヒーローや地域の歴史モニュメントを称える記念碑や装飾が重視され、アーティストが創造性を発揮する芸術政策が具体化されることはほとんどなかった。したがって、ギャリー・O・ラーソン(Gary O. Larson)などによれば、1950年代のアメリカは芸術政策に何も進展はじめに 現代アメリカの公的な芸術文化(パブリックアート)政策は、連邦制という政治制度のもとで、①全米芸術基金(National Endowment for the Art:NEA)、②地域芸術組織(Regional Arts Organizations)、③州政府芸術機関(State Arts Agencies)、④地方政府芸術機関(Local Arts Agencies、Community Arts Agencies)などの支援システムによって構成されている1)。 また、歴史をふりかえると、アメリカのパブリックアート政策は、市民社会が成熟していく過程のなかで、「公共空間」における「公共性」のあり方を問う議論と軌を一にしている。その結果、パブリックアートという芸術文化政策は、時代とともに行政主導から市民参加へと次第に変化し、行政依存型のクライアンティズム(Clientism)から市民が自主的に関与する公共政策へと次第に変容を遂げた2)。Ⅰニューディール芸術プログラムの意義 特に、「公共空間」に彫刻や壁画の芸術作品をとり入れるという国家による芸術文化政策は、1930年代の大恐慌に対処するニューディール政策のもとで、財務省や事業促進局(Works Progress Administration:WPA)の芸術プログラムを嚆矢とする。それは、公共事業芸術プロジェクト(Public Works of Art Project:PWAP)の短期プログラムから始まり、財務省絵画・彫刻部(The Treasury Department Section of Painting and Sculpture)の壁画プロジェクト、同じ財務省管轄の救済芸術プロジェム(The Treasury Relief Art Project)、そしてWPAによる「連邦芸術第1号」(Federal Number One)の連邦芸術プロジェクト(Federal Art Project)などのプログラムアメリカ・パブリックアート政策の背景事業促進局(WPA)の芸術プログラムによる壁画制作(ルシール・ロイド、1936年) ©Bettmann/CORBIS

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