GLOCAL Vol.1
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6へでも移動していく「動産」である。生産技術の国内での維持や発展を願うなら、それにふさわしい体制を構築するしかない。すでに多くの企業では、国内の工場をマザー工場につくりかえ、高い先進性を武器に海外工場の模範やモデルとして生き残れるような体制をとっている。 日本の生産技術や流通システムの底流には日本文化があり、文化の力が技術やシステムを支えている。文化はもともと幅広い概念であり、社会全体で共有される価値観や生活様式などがその中に含まれる。工業生産や流通業務を行う日本人の身体の中に染み込んだ行動様式や思考パターンが自ずと現れる。それ自体ひとつの価値であり、世界の人々の生活向上に役立つものであれば、広まっていくのは当然と言えよう。生活向上の中には精神的な豊かさも含まれる。日本人の精神性とどこかで深く結びついている日本のアニメーションが世界中の子供の心を引きつけている。近年はアニメーションに限らず、日本の伝統的文化それ自体に対して関心を抱く人々が海外で増えている。和食のように身体の中に取り込まれるもの、和式旅館でのもてなしに代表されるホスピタリティー、それに日本企業が経営する海外の塾など、日本的文化の良さが広く受け入れられるようになった。再び地理学の世界へ 地域を対象として研究を行ってきた地理学は、普遍と個別の両方の間をさまよってきた。実験中心の理系の学問とは異なり、もともと実験で確かめることができない歴史的に形成された地域や都市を対象として研究が行われてきた。個別的存在があたりまえであり、個別を貫く一般性や普遍性に目を向けることは少なかった。しかし、東西冷戦体制以降、米ソの宇宙競争や科学競争のもとで科学がもっている普遍性に対する要求が高まり、地理学でも地域差を超えた普遍性に対する関心が高まった。個別の地域や都市がもっている膨大な情報を精査し比較・分析することで、共通性や一般的傾向を導こうとした。写真9 瀬戸物まつりで、胴体が磁器製の太鼓をたたく路上パフォーマンス。(2008年9月)写真10 中山道・木曽路の入口に立つ国境の碑。(2011年3月) もとを正せば、地理学は人間が世界をどのように認識してきたかを指し示す学問である。以前の表現方法はもっぱら記述であったが、第二次世界大戦後は、モデルや理論を用いた科学的表現が重視されるようになった。そして現在、表現方法は多様化し、情報社会にふさわしく地理情報システム(GIS)という強力な方法も加わった。限られた学問的エネルギーを研究に投ずる場合、広く薄く投入するか、あるいは狭く深く投げ込むか、そのいずれかである。普遍性を追究するグローバル化は前者であり、後者はローカル化すなわち個々の地域の個性を引き出す方法である。グローバル化が進めば進むほど、ローカルなものの価値が高まるというパラドックスは、今後も変わらないであろう。グローバルとローカルのはざまを行き来しながら、地理学は伝統的な二元論を背負っていく宿命にある。引用文献1.Badcock, B. (2002): Making Sense of Cities: A Geographical Survey. Arnold, London.2.Hartshorne, R. (1939): The Nature of Geography: A Critical Survey of the Present in the Light of the Past. The Association of American Geographers, Lancaster, Pennsylvania. 山岡政喜訳(1975):『地理学の本質』古今書院。3.Harvey, D. (1973): Social Justice and the City. Arnold, London. 竹内啓一・松本正美訳(1980):『都市と社会的不平等』日本ブリタニカ。4.Johnston, R. (1983): Philosophy and Human Geography. Arnold, London.5.Pacione, M. (1997): Britain’s Cities: Geographies of Division in Urban Britain. Longman London.

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