GLOCAL Vol.1
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4る(Hartshorne, 1939)。復権したこの地理学は、以前の地誌学とは異なる。モデルや理論の有効性が明らかになった以上、それを無視することはできない。しかし、それらのみで地域をとらえるにはあまりにも不十分といわざるをえない。美しい数学的モデルや統計的処理では抜け落ちる現実の多様性、複雑性を見過ごすことはできない。全体の傾向や位置づけを明らかにした上で、個別の特性に深く切り込んでいく。こうした両刀使いが、いま求められている。グローバル(普遍)とローカル(個別)の関係 普遍と個別の間の相互関係は、グローバルとローカルの間にもみとめられる。グローバルは全地球であり、その中に個々の国や地域、都市が含まれる。あまねく世界全体を見渡そうというスタンスと、特定の地域や都市にこだわり、そこでの活動を重視しようという考え方の間には対立がある。しかし、世はまさにグローバル化で浮き足立っており、ともすればローカルな側面は見落とされがちである。グローバルスタンダードが広まっていくことは、世界中どこにいても同じように振る舞えることを意味している。いったん慣れてしまうと、その便利さを否定することはむつかしい。実際、グローバル化以前と比べると、人の移動やコミュニケーションはしやすくなった。地球規模での交通・情報インフラが整備されたことで、われわれは意識するか否かは別として、すでにグローバル社会の一員として組み込まれてしまっている。移動やコミュニケーションの自由を一度味わってしまったら、二度と昔に戻ることはできないであろう。 グローバルとローカルは対立的概念としてとらえられることが多い。グローバル化が地域社会に浸透したため地域に固有の文化や生活習慣が失われていくという事例は少なくない。だから地域固有の文化や習慣を守るべきだという議論も多い。しかし考えてみれば、グローバル化は強制されて広まってきたわけではない。もちろん、過去には植民地化や戦争によって異国の文化やスタイルを押し付けたという歴史はある。しかし現代のグローバル化は、それとは違っている。積極的か消極的かという程度の差はあるが、自ら受け入れることによって、これまでそこになかった文化やスタイルが広まった。結果だけ見れば、外来のものが地場のものを追い出し駆逐したように思われる。置き換わった場合は、古いものが新しいものに取り替えられたということになるが、これまでなかったまったく新しいものが入ってきたという場合も少なくない。そのような場合は、追い出しとか駆逐といった言葉で表現するのは適切ではない。ローカル化されるグローバル グローバル化はたしかに強力である。強い浸透力をもっているがゆえに、地域の隅々にまで入り込んでいく。しかしよく観察すると、入り込んでいったグローバル的なものは、その地域で受け入れられるさいに何らかの局地化作用を受けることが少なくない。ローカライズされるのである。一般性(普遍性)の中の多様化(差別化)といわれる現象がこれであり、世界的なハンバーガーチェーンが、進出した土地で取れる食材をメニューの中に取り込んでいる事例がその一例である。このような場合、グローバル化とローカル化は対立的であるとは必ずしも言い切れず、むしろ補完的関係に近い。これはある意味、文明と文化の関係に似ている。文明とは、動物とは異なり、人類一般が共通して行っている高次な精神的活動のことである。ただし同じ文明でも、その中身は場所ごとに異なっており、その場所の環境条件のもとで固有のスタイルを示す。これが文化である。言語の違いに典型的に現れるように、活動様式としての文化には地域差が大きい。人間は、文明という普遍的なものによって包含される地域差の大きな文化を、それぞれ固有の財産として生み育て上げてきた。個別と普遍の緊密な結びつき 近年、加速度的に広まっていくグローバル化は、ジェット航空機やインターネットなど発明・実用化されてまだ日の浅い技術革新によって押し進められている。こうした「文明の利器」を活用した企業が地球上に市場を見いだし、あまた商品群の生産や販売に奔走している。その結果、人々の暮らしは豊かにはなったが、画一的文化の蔓延という代償を払わざるを得なかった。グローバル化を受け身的に考えれば、たしかにこのような図式として説明されよう。しかし見方を変えてグローバル化のメリットに注目すれば、「文明の利器」を大いに活用してその地域の文化を深化するという戦略も考えられる。もともと文化は受け継がれていく過程で何らかの影響を外部から受けるものである。伝統的スタイルを後生大事に引き継ぐだけでは、文化の持続性はない。社会や経済が変化していく以上、その地域の文化も変わっていくのが自然な姿である。 グローバル的なものが広まっていくのは、普遍的な価値がそれぞれの地域で評価されているからである。普遍性がもっている全地球的な価値の力は強く、これがあるゆえに歴史や文化の異なる国や地域も互いに結びつくことができる。インターネットはまさにその象徴的存在であり、個人の思想・信条の違いに関係なく、通信基盤の条件さえ整えば地球上の誰とでも意思の疎通を図ることができる。個人は情報のかたまりであり、それだけにプ写真6 チェコのプラハで見かけた寿司店の看板。(2007年8月)

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