GLOCAL Vol.1
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17たものであり、軍法の重要性、修業の大切さにも触れていて、武士としての心構えが書かれている。 草薙隊は、単なる農兵隊、つまり農民が兵隊の役割を兼ねているものではなく、武士へと身分転換することが期待されていると考えられる。だからこそ「農同心」という名義が「不都合」であると考えられたのだろう。もちろん結論を導き出すにはまだ早いけれども、この可能性を導くための点をいくつか指摘しておきたい。 まず、一つ目は15~20歳という草薙隊の隊士の年齢である。もちろん少年兵といえば、有名な会津藩白虎隊の事例がある。会津藩では年齢別に隊士を編成していたため、16・17歳の白虎隊が存在している。しかし、これはあくまで予備的な隊と考えられ、次の年齢帯は18~35歳の朱雀隊になる。やはり15~20歳という年齢は、当時を考えてもかなり若者であると考えられる。すでに人生経験を積んでしまった人物は、身分を変更するには遅すぎるのではないだろうか。林金兵衛があくまで農民として扱われたことも考え合わせてみたい。 もう一つは銀三郎一件というものがある。草薙隊はその後も増員を繰り返したが、銀三郎は25歳で商売経験があったため、草薙隊に入ることを拒否された。年齢が高すぎるという点だけでなく、商売経験がふさわしくないというのである。士農工商という順序は、身分変更の際に勘案されていたのではないだろうか。その後の草薙隊 田宮如雲と合流した草薙隊は、ほとんど戦闘に参加することなく名古屋に戻ることになった。8月に尾張藩は行政改革をおこない、南方(横須賀)、東方(水野)、北方(美濃太田)の三総管所が設けられると、田宮如雲は北地総管を兼任することになり、草薙隊もその附属となった。 その後、林金兵衛は春日井へと戻ったようである。もっともその後も草薙隊だけでなく、東方総管所へ忠烈隊を組織したり、南方総管所へも春日井郡から50人ほど人数を送ったりしている。 草薙隊は飛騨国高山県農民暴動や尾張国中嶋郡農民暴動などの際に出張して鎮圧にあたったりしたようである。1870年3月には草薙隊の名称を北地隊と改称した。 下に載せたのは北地隊の郡別構成である。北地一番隊というのが、いわゆる農同心、最初の61人の流れをくむものである。春日井郡出身者が全体の4割近くを占めていることがみてとれる。なお、金兵衛の父重郷は1839(天保10)年に自宅に「三餘私邸」を設けて、文武の講師を招へいして近隣の青年に学ばせたという。金兵衛の徴募に応える春日井郡出身者が多いことには、この私塾が大きく関係している可能性が高いだろう。 しかし、戊辰戦争で成立した他の諸隊と同様に、もはや北地隊の存在意義はなくなっていた。各務原開墾や帰田法の施行などの試みもあったが、北地隊は1871年2月に解散して、元身分、つまり農民へと復すことになった。1872年10月には給禄2年分が支給されたが、彼らはその後、この措置を不服として復籍・復禄を願い出た。 1878年に、戦功のはっきりしていた磅礴隊・集義隊・正気隊・帰順正気隊は士族籍を獲得し、給禄も復することになったという。元草薙隊隊士が士族に編入されたのは、ようやく1889年2月になってからであった。 その際も林金兵衛は士族に編入されることはなかった。草薙隊の条件、若年の農民を考えれば、あくまで金兵衛は草薙隊隊士ではなかった。しかし、金兵衛の息子であり衆議院議員にもなった林小参は、その後、少なくとも大正初期までは士族編入への運動を続けた。 最終的には、1924(大正13)年2月11日、金兵衛は功績が認められて「従五位」を贈位された。翌年にはその記念事業として、愛知県の郷土史家津田応助による大著『贈従五位林金兵衛翁略事蹟』が発刊された。 この時期はちょうど戸籍法の改正(属籍記載の撤廃)や位階制度の変更(褒章システムの更新)がおこなわれた時期であった。このころには士族の実態はすでになくなっていたかもしれないが、やはり明治になっても士族への身分上昇願望は非常に高いものだったのだろう。もっとも林金兵衛自身が士族を望んでいたかについては、今のところは不明としておこう。参考文献藤田英昭「草莽と維新」(明治維新史学会編『講座明治維新3』有志舎、2011年)津田応助「贈従五位林金兵衛翁略事蹟」1925年平川新「中間層論からみる浪士組と新撰組」(平川新他編『近代地域史フォーラム3』吉川弘文館、2006年)宮地正人『歴史のなかの新選組』岩波書店、2004年秦達之「農兵隊と草莽隊」(『東海近代史研究』33、2012年)(林金兵衛源重勝墓)春日井愛知武儀加茂可児恵那厚見各務丹羽その他計北地一番隊3015543151156北地二番隊1176111124254北地三番隊12417733250北地四番隊348623659計87133518201731239219(5年6月25日、至急御調にみる郡別北地隊人数)

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