GLOCAL Vol.1
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15国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻教授森田朋子(MORITA Tomoko)1996年お茶の水女子大学大学院人間文化研究科比較文化学専攻博士課程単位取得退学。論文題目「幕末維新期における領事裁判制度」にて博士(人文科学)(お茶の水女子大学)取得。明治維新史学会理事。専門は幕末維新期の外国人問題。近著に「移民と『からゆきさん』」(『近代化する日本』、吉川弘文館、2012年)がある。 tmorita@isc.chubu.ac.jpであろう。草莽とは何か 草薙隊とは、戊辰戦争を戦った尾張藩草莽隊の一つとして数えられている。 草莽とは、もともとは孟子の「国に在るを市政之臣と曰、野に在るを草莽之臣と曰」という言葉からきていて、幕末期には吉田松陰が提唱した草そう莽もう崛くっ起き論:「今の幕府も諸侯も最早酔人なれば扶持の術なし、草莽崛起の人を望む外頼なし」によっているものと考えられる。つまり、草莽とは仕官することなく、民間・在野にあった者を指す言葉であったが、幕末期の政治状況から、現状では政治をおこなう立場についていない「人々」もたちあがるべきだと考えられ始めた。「人々」の政治化が求められたのである。この「人々」を、脱藩浪士・神主・学者・郷士・豪農・百姓・町人・侠客、はたまた勝海舟などの人材登用された幕臣など、どこまで及ぼすべきかは議論のあるところであろう。草莽の定義をはっきりと決めることは難しいが、幕末期には、本来は政治に関わりをもつはずのなかった「人々」が積極的に政治に関わるようになっていき、やがて近代には「国民」と呼ばれるようになる。草莽は転換期の「人々」を言い表す言葉ともいえよう。 尾張藩草莽隊には、草薙隊の他にも、磅ほう礴はく隊・集義隊・正気隊・帰順正気隊・精鋭隊・幕末維新と草莽隊 2012年1月28日に春日井市の文化フォーラム春日井において、「林金兵衛とその時代―幕末・維新期の春日井」というシンポジウムがおこなわれた。林金兵衛は、幕末期に尾張藩水野代官所総庄屋役をつとめ、近代初期には東春日井郡役職を歴任し、また地租改正運動の指導者としても著名な人物である。そのなかで筆者は、林金兵衛の業績の一つである「草薙隊」結成について、名古屋大学文学研究科所蔵の林金兵衛関係文書などを利用して報告をおこなった。「草薙隊」結成における林金兵衛の役割が明らかになり、その組織力・地域におけるネットワークというものを改めて考えさせられるものとなった。 また、そのシンポジウム終了後、来場者の方から次のような質問をいただいた。やや控えめな問いではあったが、草薙隊は新選組のようになった可能性はありますか、というものだった。ひと言で切り捨ててしまえば、結成の時期がそもそも違うので、草薙隊が新選組のように活躍することはありえないと考える。しかし、実はいくつか共通点があることも確かである。 たとえば新選組の前身である浪士組は、1863年に将軍家茂の上洛を警護するために、身分・年齢を問わず募集された組織である。脱藩浪士のイメージが強いが、近年の平川新氏の研究では神主・学者・郷士・豪農・百姓・侠客など多様な人々が参加していたことが明らかにされている。また、新撰組局長近藤勇の書簡を分析した宮地正人氏の研究によれば、近藤勇には社会的地位の上昇志向、つまり武士への身分上昇志向がはっきり読み取れることが示されている。 一方、草薙隊をみると戊辰戦争期に京都警衛のために募集された農兵隊組織であり、武士身分へと転換した事実が認められた。新選組や奇兵隊のように華々しいスポットを浴びることはないが、この時期には各地で同じようなうねりが起きているのであり、その類型のひとつとして草薙隊をみることも十分可能幕末維新の身分変動   春日井の草薙隊事例から考える林金兵衛(1825~1881)

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