GLOCAL Vol.1
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11国際人間学研究科 歴史学・地理学専攻准教授大塚俊幸(OTSUKA Toshiyuki)1987年筑波大学大学院環境科学研究科修士課程修了。大阪、名古屋の都市計画系コンサルタント会社に15年間勤務。2006年名古屋大学大学院環境学研究科博士後期課程修了。博士(地理学)(名古屋大学)。経済地理学会評議員、中部都市学会事務局長、名古屋地理学会常任委員、東海地理研究会幹事。専門は都市地理学・都市政策論。 otsuka@isc.chubu.ac.jpは残さなければいけないものも自ら放棄してきた。こうした近代都市計画に対して、ジェイコブズ(1961)やシューマッハー(1973)らが早くから警鐘をならしてきた。従来、老朽住宅地などにおいては、老朽化した建物を除却し、更地にした上に新しくビルを建設するスクラップアンドビルド型のスラムクリアランスが行われてきた。しかし、このスラムクリアランスは、そこに居住している住民を地区外に追い出すことになり、地域社会自体を否定するものであるとの批判が高まった。そうした反省にたち、今日では地域社会の潜在力に立脚し再生させる修復型・改善型のまちづくりへの転換が求められている。 また、開発途上地域への大規模な資金や近代的テクノロジーによる開発の押しつけは、必ずしもその地域に豊かさをもたらなさかった。そのため、今日では地域の資源を活用した内発的で持続性のある開発整備が求められるようになってきている。さらに、中央権力による画一的・普遍的なコントロールに対して、地方の個性や独自性を重視・尊重する地域主義の考え方も提唱されている。こうした世界的な近代都市計画に対する反省にたって、これからのまちづくりは進められなければならない。まちづくりとは 「まちづくり」という用語の起源については諸説あるが、いずれにしても戦後のことであり、それほど古い話ではない。最近では一般市民の間でも日常的に使われるようになってきている。行政単位を意識した「町づくり」、ハード部門中心の「街づくり」、地域の再生や活性化をめざした「地域おこし」「まちおこし」などの類似した用語もあるが、これらは明確に定義されているわけではない。そのなかで最も一般的に定着しているのが、ハード、ソフトの両面を対象とした包括的な意味をもつひらがなの「まちづくり」である。ここでは、日本において「まちづくり」がどのように誕生し、時代の変化とともにどのように変遷してきたのか、その系譜を踏まえたうえで、今後のまちづくりが抱える課題について考えてみたい。 最初に、まちづくりの定義について整理をしておく。日本建築学会(2006)は、まちづくりを「地域社会に存在する資源を基礎として、多様な主体が連携・協力して、身近な居住環境を漸進的に改善し、まちの活力と魅力を高め、『生活の質の向上』を実現するための一連の持続的な活動である」と定義している。つまり、外部資本の導入による他力本願の一過性の開発ではなく、その地域に関わる人々が、自らの手で地域をより良くするための地道な取り組みがまちづくりであると言える。また、田村(2001)の言葉を借りるなら、まちづくりとは地域にある素材を磨き、そこから価値を創造することである。その価値が外部から評価され、地域の人々の誇りと愛着につながれば、それがまちづくりの原動力となる。 類似した用語に「都市計画」がある。都市計画とは「都市機能」を円滑にすることのできる「都市構造」を総合的に計画する技術である。住む、働く、憩うといった日常生活や産業活動を行うための受け皿を用意することであり、物的環境を中心とした計画技術である。これに対して、まちづくりは物的環境に加えて社会的環境をも対象としている点に違いがある。福祉や教育分野などのソフトな分野も含んでいる。また、都市計画の主体が行政であるのに対して、まちづくりは行政だけでなく、市民(企業市民を含む)による多様な主体の参加・協力により進められるものである。世界的な近代都市計画に対する反省 先進国の諸都市が今日抱えている都市問題の背景には、これまで都市が成長を遂げるなかで経済性を最優先し、効率性ばかりを重視してきたことがある。その結果、どこの都市の駅前も同じ顔をもち、画一的な都市を増産してきた。土地利用を整序する段階で、本当日本におけるまちづくりの系譜と今後の課題

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