中部大学発 魅力ある授業づくり 作品コンクール 受賞作品
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18先生と私 私は以前、ある経済学の講義を受講した。講義の内容は、人が行う選択について経済学の観点から、なぜその様に判断をし、行動するのかを考える内容で、中でも個人が選ばなかった選択肢を大切に思うという考え方があった。何かを選び取った時に、それ以外でできたことを犠牲にしなければならないという関係を「トレード・オフ」という。このトレード・オフとは、どんな場面にも伴う。例えば、大学に進学するか、高校卒業後すぐに働くかの二択があるとする。大学に進学することを選択した場合、その選択をした時にかかる費用は大学の学費だけに思われる。しかし、経済学ではそのように考えない。実際にかかった費用である大学の学費(明示的費用)だけでなく、選択をしなかった高校卒業後すぐに就職した際の給料も費用に加算される。この加算される費用を潜在的費用といい、明示的費用と潜在的費用を合わせたものを機会費用という。 この話を先生は第一回目の講義で話した。私はそれまで、自分の選択を深く考えたことはなかった。勉強をするにしても、友達と遊ぶにしても、好きな人に想いを馳せるにしても、一時の感情に任せ、自分の選択には他の選択の費用もかかっているなんて考えたこともなかった。しかし、この私の安直な考え方は先生のたった一言で百八十度変えられた。先生はトレード・オフの話の最後にこう付け加えた。 「今みなさんはここに居ることで犠牲を払っている」 その一言が、私を奇妙な焦燥感に駆り立てた。授業は受けて当たり前だという、他の選択肢から逃げるための私の言い訳を、あたかも見透かしていたようだったからだ。私は心のどこかで自分は講義を受けており、自分は真面目なんだ、だから誰も自分に文句は言えないんだ、と安心することで自分の選択を肯定していた。しかし、教室全体に放たれた「犠牲にしている」という言葉は、私に対して発せられた言葉なのではないか、私に対しての戒めの言葉なのではないかと、私を錯覚させた。経営情報学部 経営学科 3年西川 浩平教職員審査員特別賞

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