中部大学発 魅力ある授業づくり 作品コンクール 受賞作品
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12知識の創造者 わたしの脳裏に残る言葉「知識の消費者にあらずして、知識の創造者たれ」とは前学長の教えである。この言葉の意味をどのように解釈すべきなのか、今も謎である。“知識の受け売りを否定し、知識から知恵を生み出せ”との示唆なのか、もっと深い意味なのかと。知識とは読んだり、聞いたり、体験することによって己の感性というフィルターを通して身につくもの。わたしの感性は「知識の創造者」という・・知識をおおいに刺激し続けている。 聴講生として学ぶこと15年あまり、先生や学生、聴講生仲間から多くの刺激を受けた。その刺激のほとんどは知識であり、それから生み出した知恵である。知恵以上に昇華出来ていない。『魅力ある授業の創造』を追求することによって、謎が解消出来るかも?と思慮し、考えてみた次第である。 過ぎし日々の聴講を振り返る時、己の財産になった知識や知恵、体験は自らが主役になり得たり、それに近い授業から得たものが多い。例えば、歴史地理学における“太平洋戦争への突入背景”・・思考とか、工学分野の“光子の裁判”・・舞台 ・・体験、等々である。そこには先生と学生が主体の中の聴講生という立場であっても、己が主役という緊張感が存在していた。教えられたことに対して自ら考える過程(思考)が存在したし、理解を深める為の仕掛け(舞台体験)が施されていた。今は学ぶ意志さえあれば、テレビやインターネット、等を通して誰もが学ぶことが可能である。マイケル・サンデル白熱教室やJMOOCがそれである。これらにも挑戦してみたが、あくまでも己は第三者であり、主役たり得ないのである。魅力ある授業とは己が主役であるべきだ。大学の授業は生の舞台であり、テレビ、インターネットの学びは映画に近い。俳優にとって生の舞台はやり直しがきかないから一瞬、一瞬が勝負である。その点、映画の場合は撮影のやり直しが出来る。そういう意味で、授業は先生にとって勝負の連続の筈。先生が1分の失敗をしたとすれば、学生100名の授業なら100分の損失になる。授業を受ける学生にとっても同じことが言オープンカレッジ聴講生早川 尚宏小論文・エッセー部門賞

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