学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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 創立者三浦幸平は1890年(明治23年)8月に愛知県半田市で生まれ、尋常高等小学校を卒業後、銀行に就職しすぐ結核で3年間療養し、その後、独学で小学校訓導となったが向学心やみがたく、6年後に上京し東京物理学校に進学した。昼間は東京帝国大学の眞嶋正市先生の研究所で助手補佐の仕事をし、夜間に勉強、卒業できるのは10人に1人というきびしい勉学の中で首席で卒業し、27歳で愛知県立第一中学の教員になった。 3年後には、国立名古屋高等工業学校(現名古屋工業大学)の助教授に抜擢され、その後研究を重ねて、教授に昇進した。しかし、これからの日本は中堅技術者の養成が必要であると痛感し、1938年(昭和13年)に48歳で名古屋第一工学校を創立した。これが本学園の始まりである。しかし6年後、戦災で校舎は全焼し、十数年間の苦難を乗り越えて1957年(昭和32年)、高等学校を復興した。 さらに創立者は、70歳になって工業大学の設立を目指し春日井市のこの高台を校地と定め、1962年(昭和37年)に中部工業短期大学を、2年後の1964年(昭和39年)に中部工業大学を設立した。創立者は工業大学設立に際し、アメリカ・マサチューセッツ工科大学を手本とし、将来計画として人文系、社会系の学部、大学院、研究所も含めて構想し、その基盤となる工学の大学院博士課程を82歳で開設、2年後の1975年(昭和50年)6月に84歳で逝去した。 三浦幸平メモリアルホール7

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