学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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学園創立30周年大学院工学研究科設置と博士課程増設 1974新穂高山荘完成した三浦記念図書館(現総合情報センター)フレッシュマンキャンプで学生と一緒に白根山に登る創立者(1971年)オハイオ大学と姉妹校提携(1973年)恵那キャンパス 創立30周年記念事業(図書館、体育館建設など)の完成を待って、1969年(昭和44年)11月19日(大学の開学記念日)に、学園創立30周年記念式典が挙行された。 創立者三浦幸平は、創立以来30年間の学園の苦難を乗り越えた飛躍的な発展と学園内外の方々の協力に対して感謝を述べ、さらに遠大な将来計画に言及した。その将来計画には、夢であり願望でもあった大学院の設置があった。 大学院の第一歩は、1971年(昭和46年)4月、大学院工学研究科機械工学専攻、電気工学専攻の修士課程の設置であった。次いで、1973年(昭和48年)4月には機械工学専攻と電気工学専攻の博士課程を設置するとともに、建築学専攻と工業化学専攻の修士課程を設置した。さらに1974年(昭和49年)4月には土木工学専攻の修士課程を設置した。 一方、学園は、将来の規模拡大を考えて、第三の校地を求めることになり、国鉄(現JR)中央線武並駅(岐阜県恵那市)の南の丘陵地を取得した。ここには、まず総合グラウンドを建設し、次に研修センター棟の建設にとりかかった。また北アルプスの中央、穂高連峰の飛騨側で、目の前に槍ヶ岳、穂高岳を望む上宝村カルカヤ(現高山市)の地に温泉付きの土地を取得し、ここに山荘とロッジを建設した。 この時期、学園は海外にも目を向けており、その第一弾はアメリカのオハイオ大学との姉妹校提携であった。17

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