学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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中部工業短期大学開学から中部工業大学へそして、中部工業大学附属高等学校開校1968中部工業短期大学第1回入学式9号館が東へ延び、ピロティと池ができた(1967年)名古屋第一工業高等学校春日井分校校舎(1963年)中部工業大学附属高等学校、新校舎をバックに下校(1966年)中部工業大学附属高等学校の工作機械実習 戦災による校舎焼失、戦後の混乱、物資の不足、学制改革…。あらゆる苦難を乗り越えて、名古屋第一工業高等学校を復活させた創立者三浦幸平の行動力は計り知れないものがあった。 社会は、1960年代から所得倍増の掛け声とともに、高度経済成長の階段をかけ登っていた。産業界の目覚ましい躍進によって、工業技術者の需要が高まる一方、高校進学・大学進学希望者も多くなってきた。 ようやく学校経営も軌道に乗り、いよいよ工科系の大学設立という夢の実現に向かって進むこととなった。 中部工業短期大学設立の計画は、春日井市松本町の丘陵地に広大な土地を取得してその実現に向けて出発し、1962年(昭和37年)1月20日付けで設置認可を得た。 1962年(昭和37年)4月、中部工業短期大学は機械科と電気科の2学科で産声をあげた。 4年制の工科系大学の創設は、短期大学設立以前からの予定路線であり、着々と準備が進められ、1964年(昭和39年)4月には待望の中部工業大学(現中部大学)が機械工学科、電気工学科、土木工学科、建築学科の4学科でスタートし、初代学長には三浦幸平が就任した。 1965年(昭和40年)4月には、大学キャンパス内に中部工業大学附属高等学校(現中部大学春日丘高等学校)も開校し、三浦学園は、まさに躍進の時代の幕開けを迎えた。15

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