学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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 1951年(昭和26年)は、学園にとって新たな出発の年であった。 財団法人常磐学園は私立学校法に基づき、学校法人三浦学園に組織変更することになり、1951年(昭和26年)3月8日付けで認可された。また4月には鶴舞幼稚園が開園した。 三浦学園は常磐高等学校と休眠中の常磐中学校、名古屋第一工学校、そして鶴舞幼稚園を持つ学校法人になった。 常磐高等学校は普通科のみであったが、その後、電気通信科、機械科などを設置し、ようやく教育環境が整ってきたので、1957年(昭和32年)12月8日の19周年記念日を期して、常磐高等学校を名古屋第一工業高等学校と名称変更した。 1958年(昭和33年)2月には念願の鉄筋コンクリート4階建て校舎、1959年(昭和34年)4月には鉄筋コンクリート6階建て校舎が完成し、戦火で校舎を焼失して以来13年目の快挙であった。この年の4月8日、新装の校舎6階の講堂で行われた入学式で、三浦幸平校長は「日本一小さな高校が、日本一高い校舎を持った」と胸を張った。常磐学園から三浦学園へ常磐高等学校から名古屋第一工業高等学校へ1961名古屋第一工業高等学校での弱電実習鶴舞幼稚園の端午の節句のお遊戯会全館完成し面目を一新した名古屋第一工業高等学校の校舎名古屋第一工業高等学校での自動車整備実習名古屋第一工業高等学校生徒によるウラン鉱の実地調査(1959年岐阜県吉城郡)13

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