学校法人中部大学 80周年のあゆみ
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 名古屋第一工学校は、1939年(昭和14年)4月、名古屋市中区千早町で産声をあげた。 初代校長には、眞嶋正市東京帝国大学教授が就任した。眞嶋校長は、創立者三浦幸平が学んだ東京物理学校の恩師で、工学博士、のちに国の文化功労者となる。 一部(昼間)、二部(夜間)の二部制で、修業年限は3年、電気工学、機械工学、応用化学の3学科を設置し、昼間部は、電気工学3、機械工学5、応用化学1学級の堂々たる編成であった。 校舎は若草色塗りの木造瓦葺き2階建て2棟、生徒たちの制服・制帽はともにカーキ色、帽子は二条の白線入りであった。 経営は順調で、たちまち教室や実習場が不足し、1941年(昭和16年)には本校から歩いて5分の距離にある老松町に分教場を設置した。名古屋第一工学校設立エルモ社での実習風景老松分教場での謝恩会老松分教場での教練の査閲創立に尽くした人々(前列左より)市野徳太郎、東野十次郎、北澤忠男、中野學(後列左より)江口奢、三浦幸平、榊秀信、山口清次(円内は加藤次郎)創立者 三浦幸平初代校長 眞嶋正市19449

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